人は、絶対に避けては通れない戦いというものがある。
俺は、お前のかませ犬じゃない! のように、人はどんなに心で抑制しても肉体が耐えきれず、何より魂が熱き流動し、叫び出す。ジョースター家がDIOに立ち向かうように、ロッキーがチャンピオンにボコられても立ち上がるように、これはわざと男には~と言わない。男とか女とか、そんなことはどうでもいい。人間という種全体で、避けられぬ戦いがあるのだ。でなかったら、叫ぶという機能は人間についているわけなかろう。
だから、俺は周りがドン引きするほど高らかに叫び、戦場へ向かったのだ。
はい、ディズニーです!
周り、親子連ればかりでした!
その中で一人、(……何、この男)という目つきで見られてね。何か申し訳ない気分になって生まれてきてごめんなさい、裸足で逃げ出しそうになりましたけど。
ほんとは、途中、今月の映画秘宝でも買って待ちながら読もうとしたんですけどね。あの状態でやってたら、ボンクラ証明をするようなものなのでね。いや、その、ほんとごめんなさい。
さて、インサイド・ヘッドの感想である。
個人的には序盤は物語に入れなかったものの、途中からのめり込むようになり、楽しめた。
とはいっても……あくまで個人的にというか。
ぶっちゃけ、これ子供にはワケワカメだとは思う。
いや、ピクサーは分かりやすく、のめりこみやすい脚本で定評があると思うが、それでもこんなことになってるのは意外で……。
でも、よくよく考えると、子供の時はよく分からなくてもあとあと考えると、すごい名作だったなってのは昔からあったんじゃないか。
例えば、ウルトラマンセブンの最終回とか!
あれ、子供の頃でもカッケェと思ってたけど、大人になるとあれって子供が見ていいのか!?っていくらい熱い恋愛だった。(いや、直接的描写はないが)
あと、子供の頃からおもしろかった作品ではあるけど、俺の年代ではもののけ姫か。
あれ、最初はアクションで楽しんでたんだけど、段々と敵・味方で分けられぬ戦いになっていってね。(いや、それは別にいいんだが)でも何より、子供心には分からないことがいっぱいあったんだよ。
タタラ場で武器を製造する人々とかね。あと、エボシは何で武士達と対立してるのかもよく分からなかったんだが。(ここは、町山さんが切通さんと解説してるのがあるんで、そっちを見ていただければ)
最近だと、子供がワケワカメ状態になった子供向け作品は――
やはり、仮面ライダー鎧武だろうか。
これ、最初は敵役である怪人が出てくるんだけど――途中から出てこなくてね。むしろ、ライダー同士の小競り合いが中心になってきて、さらに変身アイテムを提供したユグドラシルっていう会社が敵だということになってきて――と思ったらまた展開が変わって――と、子供を置いてけぼりにした作品でね。
でもこれ、おもしろいんだよ。
確かに展開の移り変わりが激しいが、それはようするに、その分、予想がつかないってことだ。俺はてっきり、最初はユグドラシルの思惑どおりに戦い、最後は彼らに敵対して革命のように勝つ――だけだと思っていたのだが、それは序盤で終わり、途中からあるマクガフィンを狙っての、集団抗争劇になるのだ。
それこそ、人類史を凝縮したような裏切りやら、騙し合いが連発してね。
子供向けでこんなことしていいの!? ってのを連発した。
他にも、プリキュアも『ハートキャッチプリキュア』はすごかった。
あれ、はじめて死者が出るんだけど……いやでも、物語自体は正当な子供向けといえる奴でね、当時見ていた子供だけじゃなく、あとあと見ていた子供達が(やっぱ、あの作品すごかったんだな)と思える作品だった。
そう、作品とは見た瞬間に出される評価だけじゃない。
あとあとで、評価が変わるものもあるのだ。
それこそ、ゴッホなんて分かりやすい例だろう。
他にも、子供向けだと『ウルトラマンネクサス』というものがある。
これは、相当ドギツイ作品で子供向け――どころか、映像メディア全般で比較してもエゲツナイ! ウロブチか! っていうくらいのね。(てか、ウロブチさんがこの作品に影響されてると思うけど……これ、最後まで主人公が変身しないウルトラマンである)
で、まぁ、『インサイド・ヘッド』も見た瞬間は価値が出ないかも知れないが。
子供達の数年後、もしくは十年後になって、(あぁ、今思うとあの作品ってすごかったな)と思える作品になったのではないか。
と、これで終わりにしてもいいが、一応分かりにくくなった原因も述べておこうと思う。
・1 設定
まず、一つ目だが、これはホント仕方のないことなんだが、設定だ。設定が分かりづらい。
女の子の中に五人の感情(を擬人化したようなのが)いて――というのからしてそうだが、さらに何でいるの? 何で彼らは働くの? と、はてなマークを一度つきつけたら、キリがないような内容なのだ。
……いやぁ、これは仕方ないと思うが。そういう内容なんだし。
問題は、それが勢いで乗り切れば良かったのだが、多分子供達は最初からそれが分からず、最後まで何も分からなかったという感じだったのだ。
……ホント、無反応というか。映画の中ではギャグが連発するんだが、あそこまでスルーだと、俺一人しか笑っていないのではと悲しくなるぐらいに。
子供向け作品って、よく子供だましって言われるけど。
実際は、子供向けで問われるコトって相当難しいんだよ。
それこそ、まだ理解力が乏しいから、大人が見る以上に論理立てて、ちゃんと組み立てなければいけない。だから、特撮の脚本が驚くほど精度が高いのもそれが理由だ。(しかも、特撮って大体、三十分だけだから、その間で様式美の変身などあるし、他にもその話だけのドラマやら、バトルが展開される)
もちろん、ピクサーの脚本もやたらとレベルが高い。
いや、完璧とまでは言わない。
これまでの作品で結構問題のある作品も多かった。(妻の思い出を悪と断罪されたかのように葬り去られたやつやら、ラルフが差別に近い扱いを受けてたのに反抗したこと自体が悪いこととされたことや、他にもアナ雪――ベイマックス――)
と、キリがないが。
でも、導入部はほんとすばらしい。
観客を物語にのめり込ませるのはただでさえ難しいが、さらに物語がどういう話で、主人公はどう生きてきたかを、ざっと絵だけで語るのがピクサー、というかディズニーだ。(アナ雪や、ベイマックスもそこのとこは、ほんと素晴らしい)
だから、これでもピクサーはがんばったと思う。
いや、がんばったって何俺如きが上から目線なんだって感じだが、これが他の会社だったらもっとひどくなったかもしれないし。これでも、分かりやすく絵にしていたとは思う。
・2 感情移入しにくい
しにくいんだ。
誰に感情移入すればいいのか?
一応、人間のライリーか?
でもこいつ、感情達によって動かされてるロボットに見えたりもするので、正直感情移入というか、背景にすら思えてしまうこともある。
じゃあ、感情達に感情移入すればいいのか?
いや、これも難しい。
感情達は五人いて、その中でリーダーをはるのが『ヨロコビ』なんだが、まず子供達には彼らが何でライリーを動かそうとするのか漠然としているだろうし、何より、ヨロコビは最初、カナシミっていう悲しい感情を擬人化したようなキャラをないがしろにして、いかんせん、苛ついてしまう。
(それをどうするかが、物語のキーにもなるのだが)
多分、子供達にとって感情移入って相当大事なことだと思うんだ。
仮面ライダー剣という特撮があったが、最初は結構評判が悪かったらしい。
(いや、話自体はすごいおもしろいんだ)
じゃあ、何で評判悪かったのか考えると、主人公が……ね。感情移入しにくい……というか、したくないキャラで。(段々と良いキャラにはなっていくんだけど)
滑舌だけじゃなく、仲間がキレたら逆ギレするし、猪突猛進だし、セリフが棒読み……で。(さらに、スキャンダルもあって、剣はほんと波瀾万丈な特撮だったが)まぁ、これは別にちゃんと終盤で盛り返し、歴史的名作になるんだけど。
話がずれた。
ようするに、魅力的なキャラクターがいるかが、重要だと思う。
仮面ライダー剣も、序盤はかっこ悪いんだね。中々、敵が倒せないし。
むしろ、ライバルキャラの方が主役らしい……(というか、アギトみたいな奴なんだ。ライバルが)
だから、ツイッターでドラえもんみたいな奴がいれば、違ったのでは?
とう発言したのも、それが大きい。
ドラえもんじゃなくても、ピカチュウとかマリオとか――世界的スターなキャラクターがいれば、こうはならなかったと思う。
感情が擬人化されたような世界観も、もっとのめり込みやすくなってたのでは、と思う。
ピクサーは……というか、最近のディズニーは、確かに個々の作品では名作が多い。
だがしかし……彼らに千両役者はいるかといえば、どうだ。
トイ・ストーリーはシリーズが続いた方だが……あれ、完結しちゃったしな。キレイな形で。それこそ、これ以上続けると作品を冒涜することになるほど、キレイな終わり方をした。
そう、某ネズミさんが復活すれば――問題はないのだがね。
何だろ、短編じゃあったけど、長編じゃもうやらないのかな。流石に、今の子供達でもネズミさんを知らないってことはないと思うんだけど。
3、文化的違い
インタビューとかを見ると、ライリーの嫌いなものがアメリカではブロッコリーだが、日本ではピーマンがダントツ一位なので、そちらに変えられている。
こういう変更はある。
だが、どうしても変えられなかったものがあって……。
それが、ビンボンというキャラクターだ。
アメリカでは、イマジナリー・フレンドってのがあるらしいんですよ。
これ、町山智浩大将軍様の解説で度々出てくるんですがね。(映画塾のTEDの解説とか)
これ、空想上の友人って意味らしいんですが。
アメリカとかは、幼い頃から子供を一人で寝かす。だから、寂しいときとかはヌイグルミに話しかけるらしんですが――まぁだから。
これをどうにか日本であてはめると、ドラえもんとか、そういう感じじゃないですか。
日本とか、というか東アジアだったら、親といっしょに寝るから、イマジナリーほどにはならない。でも、空想上のというか、頭の中で友達と思えるものはいるでしょ。それが、日本とかアジア圏ではドラえもん。
で、アメリカはとくにこれといったものがない(と思う)から、個人でバラバラのイマジナリー・フレンドがあるんだね。
で、ライリーのイマジナリー・フレンドが、ビンボンなんだけど。
ぶっちゃけ、こいつの存在が日本人はみんな分からなかったと思うんだ。
俺は町山さんの解説を聞くことが多いから分かったけどさ。多分、親御さんも(?)と首をかしげてたんじゃないかな。だから、こいつが登場したときもみんな、さらにワケワカメになった。
設定がワケワカメで。
登場人物が感情移入できないから、のめりこめなくてワケワカメで。
さらに、ワケワカメな奴が出てきてワケワカメ度が増し……。
と、ここまで批判的な記事になったが。
それでも、俺はこの映画は良い作品だったと思う。
とくに、ビンボン。こいつがね、良い奴でね。
話の筋事態はいつものディズニーというか、ピクサーなんだよ。
最初の価値観が間違っていたことに気づき反省する、おとぼけキャラが……、とかね。
だから、いつも通りと言えばいつも通り。
ありきたりではある。
でも……それでも……あいつの退場シーンは、泣けたんだね。
ここの辺りも脚本が上手くてね。途中で、巧みな技量で伏線を張ってるんだね。しかも、脚本のタイミングも良くて。登場人物が(――あっ!)と気付くときに、観客も気付くようになってるんだね。セリフとか、うまく気付かせるような言葉にして。
イマジナリー・フレンドというと。
有名な映画で、『テッド』というのがあるが。
あれも、けっこう泣けるシーンがあってね。ネタバレすると、別れになるかもしれないシーンだよね。
子供の頃から忘れたくない思いで……原初の願いのようなものがある――それを、人は大人になるとどんどん忘れてしまうものだが、中には忘れきれない者がいる。
俺とかそうだよね。
人並みの幸せをポイ捨てして、小説家なんて目指すんだもの。
だから、『インサイド・ヘッド』といい、『テッド』といい、泣けるものがあったんだ。
それだけじゃない。
最初から途中までホント、誰に感情移入すればいいかって話だったのが、この擬人化された感情達が何を表すのか、最後ら編で分かるようになるんだ。
これは言っちゃうと、親御さんみたいな気持ちになるんだね。
子供のライリーのために、良かれと思って行動したのに……結果は悪い方に、悪い方に行って……心配で心配で……だから、途中、ヨロコビが流す涙も泣けてね。
途中、ある人物達がどん底にたたき落とされて、どうにかアイディアを閃き、脱出しようとするシーンがあるんだが。
これ、一回で成功しないんだね。
二回……三回……四回、くらいだったか?
それでやっと成功になるの。
二回目だったら、まだまだぁ! って元気なんだけど、三回目は立ち上がるのもしんどくて……でも、立ち上がって、成功させるんだね。
全てはライリーのために。
子供のために、だよ。
だから、子供達は結構無反応な映画館だったけど、親は目元をぬぐってたぽいよね。(俺は何を見てるんだ)
多分、ヨロコビ達に自分を重ね合わせてるんだと思うんだけど。
最初はカナシミなんて……と扱い方のひどかった彼女も、途中から彼女も大事ってことが分かってね(しかも言葉ではなく、絵で説明する)
そこも泣けた。
いや、そういうメッセージは序盤から出てはいたんだ。
頭の中がのぞけるのはライリーだけじゃなく、彼女の母親や、父親もいてね。
そこではヨロコビがリーダーではなく、カナシミだったり、イカリがリーダーになっててね。(まぁでも、ここはちゃんと明確に説明するほどはしなかったけど。だから、カナシミが重要だってコトが分かったときは泣けた)
確かに分かりにくい映画かもしれない。
評価はそれこそ、ゴッホ以上にかかるかもしれない。
でも、それでも、ちゃんと内に秘められたものがある作品ってのは、大多数に認められなくても、いつかは認めて貰えるかもしれない。少数だけでも……それでも……認めて貰えるかもしれない。
それだけでも価値のある映画だと思った。
いいじゃないかね。
今でしょ! じゃないよ。そんなの、テメェが決めることじゃないんだよってことでね。
以上、蒼ノ下雷太郎でした。