ガッチャマンクラウズインサイトの感想を書こうとしたけど。
前の話とか、まんま宗教だよなぁ。
あ、そうだ! 『A』につなげた話題で――と、色々めんどくさいことになりそうで止めた……。
みんなで、一つになろう。
この思想の究極のパターンって、ぶっちゃけ宗教なんだよね。
現世の邪なものを排除することで、真の者となる。
もしくは、信じることで救われる。信じればその中に入れる。
いやもう、言い方は何でもいいけど。
この手の話題は、島田裕巳先生の著書だったり。
もしくは、(島田先生も共著で)『ウチの母が宗教にハマりまして。』とか見ると分かりやすいか。
他にも、町山さんが編集した本やら色々あるんだけど……まぁ、これで。
だから、七話でゲルルの信者達が自分らの色に染まってない人々に心配して声をかけたり、とか印象的だった。
声をかけられた人も言っていたが、『キモい』んだよね。
タチ悪いことに、自分が好きなものを相手に広めようとする人はいる。
てか俺もそうだ。
そう、こういう言い方すると他の人も(俺も俺も)となるのは多いんじゃなかろうか。
彼らがやってるのは、どんな大層な言葉を使っても結局はコレだ。
自分が好きなものを広めたい。
共有化。
相手に自分と同じようなものを植え付けることでパイプのようなものを築く。
同一化させる。
別に、これ自体は悪いとは思わないんだよね。
共有化させる――共感させるなんて、創作者はみんな使う技法だし。
やっぱり、自分とどこか一つでも同じものがないと、中々相手を信用できないしね。
……でも、中には一つになる思想に入れない人もいる。
それも別に悪いわけじゃないんだよ。
嫌だからとか。合わないだとか、色々理由はあるけれど。
どんなに言葉で説明されても、どんなことをされても、なじめない人はいる。もう理屈とかじゃなくて、もはや体質的にって人はいる。
それを無理矢理、こちらに引っ張る――そこまですると、もはや強制であり、暴力。いや、もっと違う言葉でもいいけど。
それを昔の人々はいっぱいやってきたわけで……。
戦争が終わっても、革命をする側でさえ同じことをやってきたわけでね。
これはもう、人としてのさだめなのかもしれない。
ガッチャマンクラウズって、明確な敵って少ないんだよね。
一作目では、一応カッツェがそうだけど。
他はトチ狂ったり、内戦してるようなもの。中には良かれと思ってやってた者もいて、明確な敵ではない。
で、二作目ではほぼ完全にいない。
一応、理詰夢がそうかもしれなかったけど……こいつもこいつで思想があってね。
ゲルルなんて、良かれと思っていてホントタチが悪いんだけど。
って、結局クラウズ感想になったか。
しかし、七話では変な奴出てきたけど。
アレがあのまま人々を襲ったらまんまな気がするが……どうなるんかね。
だが、淡々と日本全体の政治がメディアが、人々が動く様はアニメを見てるはずなのに、途中からアニメなのか分からなくなってしまった。あれはホント見事である。
……えーと、久々に感想の長文書いたから、オチが思いつかないけど。
まぁ、山なし、オチなんてどこにもない記念日ってことでね。とりあえず、無理矢理オチってことで。