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蒼ノ下雷太郎のブログ

一応ライターであり、将来は小説家志望の蒼ノ下雷太郎のブログです。アイコンなどの画像は、キカプロコンでもらいました。

そう、だから少女は逃走する(『推定少女(角川文庫版)』 感想)

 俺が一五歳の頃はロクなことがなかった。

 学校で不良グループといわれてる奴らにケンカ売っちゃって(うるせぇと言われたら、お前等がうるせぇと)それでボコられて、周囲から腐った乳製品を見るような目つきで見られて、でも中にはこんな俺でもかまってくれる人がいて、でそいつからも裏切られて、またどん底に落ちて、いじめられて――のエンドレス。

 こんな風に被害者面して書いてるがじゃあ俺がずっと被害者だったかというとそんな綺麗なお話はなくて、優しい人が描くような守ってあげたくなるようないじめっ子じゃなくてね。内心はみんな死ね死ね死ねと思ってたし、友達のこともそいつの人間関係や学校のランク(?)とかで判定してたし、俺もされてたし、結局は同じ穴に住むどうしようもない存在で高校に入ってからはこの自虐が加速して学校に行かずを繰り返し、逃げて――逃げて――逃げてをしていた。

 

 おい、雷太郎。

 初っぱなからフルスロットルだぞ? と思われたであろうか。しかし、今回語りたいのはこの小説だ。

推定少女 (角川文庫)

推定少女 (角川文庫)

 

  アイドルじゃねぇよ。

 桜庭一樹の小説である。

ライトノベル出身の作家で、

 『赤朽葉家の伝説』で第60回日本推理作家協会賞を受賞し、

 『私の男』で第138回直木賞を受賞した)

 元々はファミ通文庫から発売だが、のちに角川文庫からも発売される。

 ラノベから一般文芸のようになったが、二つの違いはイラストがある・なしだけではない。ファミ通文庫ではエンディングが一つだけだったのだが、後者では三つ用意されているのだ。

 エロゲーか! って思われるかもしれないが。

wiki情報でもうしわけないが、情熱大陸で、本当はバッドエンドを迎えるはずが編集者の意向でハッピーエンドになったらしい。それが影響してるのかもしれない)

 

 これは桜庭一樹作品全般にいえることだが、子供から見た大人への不安や苛立ち、葛藤など――昔、ぼくらが感じてたであろうティーンエイジャーの世界を見せつけられる。主人公の少女は街が「UFO出現!?」で大騒ぎした日に、義父に瀕死の重傷を負わせて逃走してしまう。その最中、ダストシュートで彼女は妙な入れ物から出てきた美少女に出会うのだが――その入れ物が最先端科学でも無理なような消え方をして、さらに美少女は全裸で拳銃を持ってて、わけ分からないし、というかこの小説はそもそも義父を傷つけた経緯もよく分からなくて、分からなくて――分からなくて、から始まる。

 

 エヴァンゲリオンといい、この小説といい。ティーンエイジャーを題材にした作品は何故こうなのか。分からないことだらけで始まるのか。しかし、今思うと自分が一五歳のときも分からないことだらけだった。いじめからどうあがけばいいのか分からなくて、本当は抗えばいいのだと分かっていて、でも分からないフリをして、でもそれ以外にどうすればいいか分からなくて、結局何も分からなくなって――頭の中がもんやもんやと、もんじゃもんじゃとしていた。

 しかも思春期の男子。

 推定少女では性的な欲望は出ないが、そりゃそうか。だが、男子の方となるとこの時期はムッラムラしてる状態だからね。でもモテないから、必死にネットでエロ画像探しなんてしてたけれど。そう、一五歳というのは性という露骨な感情が見えてくる時期でもある

 女子の場合だと、その性を感じるキッカケが同時代の男子からかもしれないし、もしくは年上――いや、さらには大人の男性ということもありうるのか。作中でも男子のようなムラムラという感情はないのだが、そう見られると、敏感に感じ取るとこがあってね。

 ただでさえわけ分からない状況なのにさらにわけ分からなくなって、もうどうすればいいか――という心境になってね。

 

 そう、そんな状況になったら誰だって逃走したくなる。

 そう、だから少女は逃走する。

 

 その逃走は成功する欠片もないし、どうしても自虐的で終末思想だ。将来を考える思考というより、今どうやって生きるかを考えて明日なんてどうだっていい。それは、将来を必死に考えなくちゃいけない一五歳――高校入学前の多感な時期だからこそ、ある種の解放感がある。でも同時に、すごい悲しいことでもあるんだよね。一五歳なんて、今の俺から見たら宝ものみたいな時期だよ。全ての出来事が経験になる。のちの人生の糧になる時期だ。主人公もそれはやっぱり分かっていて、でも彼女を引き戻そうとする大人達がビシッと力で押し込めようとしたり、もしくは「きみのことはよく分かる」と主人公をジャンヌダルク呼ばわりする自称・大人じゃない大人がからんできたりもして、やっぱり大人になるのなんか嫌だ! という気分に陥るのだが――

 

 でも、少女は一人で逃走してるわけじゃなくてね。

 もしかしたら、宇宙人かもしれない。得体の知れない美少女がいる。

 いや、彼女だけじゃなく、将来自分を好きになってくれる理想の女性を求め続ける少年もいるし。年上の青年で、ゲームなどエンタメ作品にいい年をして想いを馳せる奴もいるし。

 彼女はこれらの人々との出会いもあって短いながらもこれまで体験しなかった冒険をすることになって、成長か、それとも挫折か――それでも最終的には、答えを出すんだ。

 分からないことだらけだ。

 義父のことだって具体的に何が起きたのか思い出しても、もしかしたら~と考えると止まらないことがあり。

 いや、美少女の存在だって宇宙人なのか、それともそのフリをしてるだけなのかって問題もあるし。

 さらに、途中から違う宇宙人も出てきて――

 

 まぁ、最終的にはそれぞれのエンディングに分かれて答えが出るのだ。

 その答えもあやふやなとこはあやふやで、ただ主人公はどうするかだけが決まっている。理不尽な道なんだが。

 しかし、一五歳からそれ以降ってみんなそうだったんじゃないか。

 将来はどうするかとか。これまでの生活は正しかったのか、とか。そういうことは曖昧なくせに、自分が今後どういう道を進むのかだけははっきりしている。高校に進学する者は高校へ、就職は就職――最初から最後まで、いい年して何だが昔の子供にもどった気分でね。

 楽しく読めた一冊でありました。

 これを読んだあとに、同じ作者の『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』を見ると、また違った感想が出てくるかもしれない。

 エンディングは三つあり、どれを主人公が選ぶと主かは人それぞれかもしれないが――その選び方はきっと、選んだ本人の人生にも関係してることでね。もしかしたら、将来『ああ――だから、俺はあのエンディングだと思ったんだ』とか言っちゃったりするのかね。いい年して考えちゃいました。蒼ノ下雷太郎でした。