蒼ノ下雷太郎のブログ

一応ライターであり、将来は小説家志望の蒼ノ下雷太郎のブログです。アイコンなどの画像は、キカプロコンでもらいました。

心を解放させたのだ(『インビクタス/負けざる者たち』 感想)

 俺が芸術に求めてるものはある種の解放であり、救いである。

 こんなことをいえば少しは文章が高尚に見えるだろうか。

 いや、実際は高尚でも何でもない。

 悲願、祈願、何でもいい。

 心が枯れ果てたときに、まだ最後の一滴があるのだと錯覚したい、情けない悪あがきだ。しかし、そういう悪あがきこそ人は感動が得られるのではないか。

 芸術ってのはあくまで大きくまとめた言葉であってね、それが小説でも漫画でも音楽でも映画でも何でもいいんだ。ともかく、見た者を圧倒し心を解放させるモノ――それが芸術ってことでいい。

 そして、この映画は久々に俺の好みの映画であった。

インビクタス / 負けざる者たち [DVD]

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  ジャケットで、モーガン・フリーマンマット・デイモンが主演ってだけですごい。(しかも監督はクリント・イーストウッド

 

 いやもう、こういう映画弱くてね……。

 芸術が希望の象徴に描かれてるのって弱いんだよ。

 だから俺はオーガストウォーズ』って映画もすごい好きでね。あと、フラガールも。

 この二つの共通点は芸術――芸術が、希望であり心の解放の場になってるってことだ。

 『オーガストウォーズ』は、簡単に言えば、戦争に巻き込まれた息子を母親が助けに行く話だ

 しかし、息子は戦争の残酷さを直面してロボットアニメのような幻想に必死に逃げようとする……でも全然現実は彼を逃がさず追いかけてきて、危うく死ぬ寸前だったんだけど、母親が助けに来るんだ。しかも、息子が逃げ込んだ幻想の世界――ロボットアニメのロボットのマネをして。それがもう、ほんと泣けて。

 9.11ではアメコミのヒーローは現実では何もできないと嘆いたが、違うんだ、例え空想上でもヒーローは助けに来るんだ。このままじゃ終われない、という意志が伝わってきた。そして、すごい芸術ってのは見た者に勇気も力も与えてくれる。息子はやがて現実逃避をやめて現実と向き合うんだ。そこでもう、また大泣きしたんだけど。

 

 フラガールは日本映画だ。

 ある炭鉱町で、復興のためにだっけ? 温泉施設だっけか、いや違うか? ともかく、何かの施設を作ってそこでフラダンスを踊る女性達のチームを作ろうとするんだ。

 でも、そんなので町が救えるかと反対する者もいて。途中何度も挫折する。それはもう、この世のめんどくさいことが全部この町にあるんじゃないかってくらいに……でも最後は芸術――フラダンスの力でそれらを全て吹っ飛ばすんだね。

 

 インビクタス/負けざる者たち、この映画に出てくる芸術はラグビーである。

 力のある漫画や映画――芸術は、見た者に勇気や力を与える。

 『タイガーマスク』を見て勇気づけられ、大人になったら児童施設に無償の奉仕をした者もいれば。

 ブルース・リーの映画を見て、勇気づけられたマイノリティーも大勢いる。

 

 この映画の舞台は、南アフリカ共和国

 時代はアパルトヘイトが終わり、マンデラが大統領に就任した辺りといっていい。

 この映画の表紙を飾る、モーガン・フリーマン演じるマンデラは悩む。

 アパルトヘイトをなくし、自由を獲得したはいい。

 しかし、南アフリカにいる黒人と白人との間には決定的な溝がある。

 それはもう冒頭から克明に描かれる。

 一本の道の左右に、スポーツをしている人々がいる。片方はラグビー、白人達のスポーツで。もう片方はサッカー、黒人達がやっている。そして、その真ん中をマンデラの乗った車が通る。

 そう、マンデラは両者の仲を取り合い、南アフリカに真の平和を築こうとする存在だ。

 アニメに出てくるようなヒーロー像でもある、個人的に思い浮かぶのは『もののけ姫』や『風の谷のナウシカ』のアシタカでありナウシカ、もしくは『ターンエーガンダム』のロラン・セアックだ。

 

 ネルソン・マンデラが目指す道は遠い。

 白人達は今までの差別意識を変えずらく、さらには黒人が大統領になったことで今度はこちらが弱者の側になり、恐怖してる。

 そして、黒人達は立場が逆転したことにより、血気盛んだ。

 マンデラは必死に両者の溝を埋めようと努力する。ボディーガード達にもそれを実行させ、黒人達の中に白人のメンバーを入れる。もちろん、自身の政治の仕事にも白人はいる。また、自分の給料が高すぎると慈善活動にあてたりと、あらゆる手をつくす。

 だが、それでも変わらない人は変わらない。

 たまたま目についた新聞は犯罪率増加の記事。

 マンデラは一種の博打をしてみる。それは、南アフリカ共和国ラグビーチームを応援するということ。

 国を代表するスポーツチームが世界大会で勝っていくことで、民衆の心を一つにしようっていうことだ。

 応援といっても大層なことはしていない。チームの主将を招き寄せ、会話する。最初はそれだけだ。だが、それだけで主将はマンデラにめろめろ。この主将ってのが、マット・デイモン演じる人物で、彼の家は父親が黒人に偏見を持ってたりするんだけど、でもめろめろになっちゃってね。

 マンデラが応援にかけつける度に、ちょっとうれしそうなんだ。

 また、マンデラが収容されていた監獄も見学し、彼が歩んできた道のりの険しさも知った。彼はマンデラの麻薬のようなカリスマ性に魅了されたが、でもしっかりと彼が本来持っていいはずだった憎しみの源泉も見つめ、その上でマンデラの夢を叶えよう。そして、この国に忠誠を尽くそうと決めるんだね。

 マンデラと主将の関係はベストキッドのようでもある。誰かの意志を受け継ぐってのは、師弟関係のようなものであり、父親と息子のような関係性でもある。そしてこれは、血縁も人種も歳も関係ないんだよね。魂と魂が共感した――ただそれだけだ。だからこそ、純粋で、とても美しい。

 最後の試合とか、屈強の男達がおしくらまんじゅうのように押し合って、無駄な音は一切無く、スローモーションで、「……うっせ、ほいせ」と息づかいだけが聞こえるというシーンが連発するんだけど。

 それがまた、まるで神聖な儀式を眺めてるような感じでね。

 自分らは国民の期待を一心に背負っている。そして、相手も自分らと同じ。ともかく、負けられないってのがありありと伝わってきて、ほんと泣けた。

 こういう、自分の全てを投げ打って何かを成し遂げようとするってのは、やっぱ泣けるよね。アイドルのがんばりに心打たれるのも感情をあらわにしたミュージシャンの歌に感動するのも同じ理屈だ。それにより誰かが感動したならそれは芸術である。心を解放させたのだ。

 だから、俺はそういうのを主題にした作品はとても好きだし、今後自分もそういう物語を描きたいと思っている。書けるかな、いや書かなきゃ駄目でしょ。今でしょ。

 

 以上、蒼ノ下雷太郎でした。

 した!