蒼ノ下雷太郎のブログ

一応ライターであり、将来は小説家志望の蒼ノ下雷太郎のブログです。アイコンなどの画像は、キカプロコンでもらいました。

昔、おもったこと

 幼い頃、TVゲームが大好きだった。

 

 外を出歩くと空想に浸ってばかりいて、昔から変人を言われ続けた俺だが、辛いわけじゃなく。むしろ、その傷を埋めるようにゲームで遊んでいたりした。

 今は変わったかもしれないが。

 あの頃のゲームは子供達のコミュニケーションツールとして働いていたし、現にポケモンのおかげで友達になったヤツもたし、それで遊んだりもした。

 だから、俺にとってゲームは昔の世代が言う――小説だとか、漫画だとか、映画だとか。

 それに匹敵する存在だったんだ。

 

 とは言うものの、当時のTVゲームの評判はほんと最悪でね。

 今は大分違うよね?

 それこそ中世ヨーロッパの宗教裁判のようにゲームは悪者にされたんだよ。

 いや、別にゲームが全部いいとは言わない。

 ネットゲームの依存症は韓国とかでは社会現象にもなって、更正するための機関があるらしいし、日本だってそういった依存症は一つや二つじゃないだろう。

 言ってしまえば、ゲームは最強の娯楽だ。

 だからこそ、度を超えてハマるヤツだっている。

 

 でもさぁ。

 大人達が大声上げて、子供達の好きなものを罵倒するのを見てさ。

 それが本当に子供達のためになると本気で思ってるの?

 確かに中毒性が高いから親の管理は必要だろうけどさ。

 俺みたいにゲームで得たものがある人はどうすればいいんだよ。

 さらにいえばさ、『子供のため』とか言って子供が好きなものを罵倒する奴らを見て、子供が本当によろこぶとでも思ってるの?

 

 まぁ、何度も言うようだけど。

 中毒性が高いから、それを管理しなきゃいけない場面もあるだろうけどさ。

 それでも、当時はこんなことがあって俺なりに影響を残す形になったんだが。

 いや、もちろん問題もあるよ。

 だが、それだけじゃねぇんだよ!

 ゲームで何か得た奴らもいんだよ、そいつらのこと考えろよ! と。

 

 という考えは、俺が書く小説でほとんど影響されているが。

 何だろうね。

 最近はゲームだけじゃなく、他のジャンルでもこんなことする人いてさ。

 いや、俺も人のこと言えるほど大した奴じゃないけど。

 でも、誰かを罵倒する前に本当にそれはそれだけなのか、とか考えないのかね。いやいや、こうしてる俺も実際ちゃんと考えて言ってるか怪しいかもしれんが。でも、危険性を持つぐらいはしたいよ。

 

 まぁ俺がどー言っても理解できない人には理解できんだろうし。

 それを否定してもいけないんだろうけど。

 でも、みんな他人にとってはゴミクズでも当人にとっては宝物を、持ってるはずなんだけどねぇ。

 この考えも、俺の書く小説では頻繁に出てきます。

 『7start』の九鴉しかり。

 『さよなら、Detritus』の羽佐間しかり、です。