誰かの意見を尊重するのは、それだけで才能だ。
俺は一応、相手の意見を聞き入れて――と気をつけてはいるが。
いないか? いや、どうだろう。
周りからどう思われてるか分からない。自分だけそう思ってるのかもしれない。
自信なんてない。
誰かの意見を尊重できるのは才能だ。
意識してそう簡単にできることではない。
俺も気をつけないと大変だ。
相手の言葉を咀嚼し、理解し、なるほど~の部分は共感できる、だが~の部分は無理だと判定してしまう。
誰かの意見を尊重するなんて、難しいことだ。
そういう点で、ガッチャマンクラウズの主人公である一ノ瀬はじめはすごいと思う。
どんな意見も尊重しようとするし。
例え、一見非道な行為に見えても(もしかしたら、あちらも何か事情があったのかも)と、お前は聖母か、とツッコミたくなるくらい思慮する。
それは一期から描かれていた。
電車で老人に席をゆずらない人に、はじめの仲間は怒るが。
いや、もしかしたら、ゆずらなかった人にも事情があるのかもしれないよ?
と言い返す。(あくまで、ゆずらなかった行為自体に言及してるというより、もしかしたら、とIFの可能性を提示したとこに注目したい)
猛スピードで走っていた車にも似たようなこと言ったか。
そして、この考え方は物語のボスにも使われた。
皮肉なことに、それは全否定されたようなものだったが。
まぁそれでも、一期はどうにか事件は解決するのだが。
三話は、はじめとつばさの違いをあらわしてるように見えた。
端から見ると、累と理詰夢の戦いはひどいもので。
早く助けないと、累が死んじゃう! というようなものだ。
だが、累にとっては誰にも邪魔してほしくない。大切な戦いなんだ。
累は、クラウズこそが世界を良くすると言った。
逆に理詰夢は、クラウズこそが世界を悪くすると。
理由も述べた。
クラウズを使う全員が正しいことに使うとは限らない。
そして理詰夢は皮肉なことに、それを自分で証明してみせた。
それに対し、累が出した答えは信じること。
確かに悪用する輩はいるだろう。だが、それ以上にクラウズを正しいことに使う人がいると信じた――だから、累が理詰夢に命のようなノートを渡し、それをナイフで刺されて死にそうになってるのも無駄ではない。彼は理詰夢と同じように己の信念を証明するためにやってる戦いなのだ。
だから、彼は仲間が助けようとしたとき『来るな!』と言ったのだ。
それで、はじめは止まり。
つばさは、止まらなかった。
いや、だからといってつばさが悪いわけじゃない。
あそこで助けなかったら、累は死んでたんじゃないか。
じゃあ、はじめが悪いのか?
そう、こいつは一期でも相手が事件の黒幕でも意見を尊重するような人間だ。
周りから見たら、何だこいつと思われるかもしれない。
累のことだって止まらないで助けに行けば――だが、それじゃ累が本当に守ろうとしたものは守れなくなるのだが。
ほんと、今回のガッチャマンは複雑というか。
もんの、すごいことになってるが。
はたして、三話で二人の違いを描いた先はどうなるか――乞うご期待ってことなのかな。楽しみである。