本当に楽しいと思えるものをやりたい(analecta更新報告 および ポイントに囚われずを千利休から語ってみようの巻)
analectaを更新しました。
何だ、本編でネタなくなったのか? うるせーよ! と言いたくなりますが、いえ、ネタがないわけじゃなくてですね。ちょっと、本編とは違うことをやりたい。ちょっと試したいことがあってですね……。
んぅ、例にしていうと。
例えば、最近はそろそろ実現可能かって言われてるVR技術ありますね。
ソードアート・オンラインみたいなのね。
これって、例えば小説は普通にやってることだよなって。
すごいことかっていうとアレだけど、登場人物に仮想世界に行かせる――って言って、擬似的な体験をさせる。(それこそ、VRを見てるような感覚に)
させることは普通にできるんじゃないかって。
ちょっと試したくてね。
これは、本編でも試してたんですけど。
わざと、男側の視点を入れたりして。
物語に意識が入り込みやすいようにしてみたんですが――それをもっと、分かりやすい構造でできないかなと、番外編をやるつもりです。
読者が物語の登場人物になったかのように――読めたら、幸いです。
(で、登場人物になったら何をするかって? いや、エロ小説ですから――はい)
ま、最初なんで登場人物の紹介だけという感じで。
今後、セツナもちゃんと出てきます。てか、次から出てきます。「テメェ、コラ」って感じでね。
analecta 『番外編 1』
http://ncode.syosetu.com/n8891cr/52/
さて、なろうに投稿したエッセイの方もたくさんの人に読んでもらって幸いです。
ジャンル別ランキングで二位になりました。
ほんと、読んでもらった方々には多大な感謝を――。
いや、衝動的に書いたものなんで。
これが『7start』を越えるとちょっと悲しい気持ちもあるんですがね……。
いやいや、ポイントをこれだけもらっておいて失礼だと思われるかもしれませんが。
これでポイントがもらえるなら、あんまポイントの上げ下げで一喜一憂する必要もないなと考えたりしました。
言ってしまえば、カラオケの採点のようなものだと思えばね。(おいおい)
俺が好きな文章を書く人で、勅使河原宏という人がいるのですが。
この人は華道の人で、草月流という家元の三代目をやっていた方ですね。
どういう花の生け方をしてたかは、図書館でも本があると思うのですが。ともかくキレイです。
華道だけじゃなく、詩が載ってるのもありますね。いえ、そもそもこの人は最初は家元を継ぐつもりはなく、当時は西洋文化の奔流の時代ですから、アヴァンギャルド芸術に傾倒していたんですね。
(『私の茶道発見』という本に書いてあります)
華道と言えば伝統的なものですから、どうしても固いイメージがあります。
勅使河原宏の父親も、息子に(家元を)継いでもらいたい気持ちが強いのではないか。
それこそ、西洋文化に寄り道してないで、生け花をやってくれんかと、自分は思っていました。
でも、違ったらしいですね。
彼の父親はとくに何も言わなかったらしいですね。
(これは――祖父がとても厳しい人だったから、その反動があるらしい)
のびのびと、のちの三代目がアバンギャルド芸術に進んでいくのを止めるどころか見守っていたようです。
結果的に、これは良い方向につながります。
一度西洋の文化を味わうことで。
これまでの人とは違った視点で、日本の伝統文化を見ることができたんですね。
(狙ってやったわけじゃないと思うけど)
勅使河原宏という人は、華道意外にも詩や書道、いやその他にも映画監督もやっていた方でして。その映画の中には、友人の安部公房の『砂の女』の映画化もありますが。昔の日本――戦国時代を生きた人々を描いた映画もありました。
例えば、『利休』ですね。
『私の茶道発見』という本にも、利休に関することが書かれています。
アヴァンギャルドで西洋にばかり目がいっていたが、日本だって数百年も前からアヴァンギャルドなことをしていたってね。
武士の力が強かった戦国時代に、帯刀を許さない『茶室』を生みだした千利休。
それから何百年も彼が作った『茶道』は本質を変えることなく、伝統として大切に受け継がれていくのですが。
その他にも、西洋文化の奔流を受けながらも、自分の作風を確立させた古田織部。
この人の話は漫画にもなっていて。『へうげもの』ですね。
この人の生みだした陶器というのが、ほんとすばらしくてですね。
えーと、織部焼き - Google 検索と言われるものを生みだした人といえるのですが。
西洋文化の影響を受けつつも、それに流されず、むしろ巨大な西洋文化を自分の中に取り込み――自分のものにして、表現していったんですね。
そこに、勅使河原宏は自分を重ね合わせて共感したらしいのです。
この人も、アバンギャルド芸術に――西洋の文化に、傾倒していた人ですから。
でも、何よりもすごいのは『千利休』。
フツー、弟子がこんなにすごいと師匠はどうしても反発するものでしょ。
とくに、千利休と古田織部はやってることが正反対な人ですから。
また、『私の茶道発見』からの引用ですが。
利休は、いつ始まったのか終わったのかさえ分からないような、作為的じゃない――自然なお茶の点て方をしたらしいです。
逆に、織部は一応武士ですから。堂々とした点て方だったらしいですね。で、茶会では露地にたんぽぽを植えたり、鳩を遊ばせたり、琴の音が聞こえてきたり、不自然きわまりないことをしたらしいです。
利休のすごいとこは、自分とは正反対の弟子の才能を認めたこと。
さらにそれを、伸ばそうとしたこと。
まるで、勅使河原宏の父のようですね。
アバンギャルド芸術に息子が傾倒しても、止めるどころか、温かく見守った。
――利休は、自由な眼を持っていたのでしょうかね。
師匠だとか、弟子だとか。
伝統とか、革新だとか。
そういう枠に囚われない――それこそ、鳥が空から眺めるような――
広い視野を持った、自由な眼を持った人だったのだと思います。
利休以前は、茶道の形式も――一応はあったのですが、まぁこれを説明するとまた長いので省略します。
『私の茶道発見』では、利休は趣味遊興だった当時の茶の湯に日本的な精神を加え育てた――とあります。
日本的な精神には、禅などもありますが。
それ以外にも、利休以前は海外からの輸入品ばかりに価値を見出す空気があったのですが、利休はこれを変えました。
日本のだっていいの、あるよ。と。
これは何も愛国主義とかじゃありません。さらにいえば、利休は。
そこら辺にある竹からだって、良いの取れるよというのです。(実際、そういう作品がある)
高いのだけが全てじゃない。
みんなが認めるから――そういう空気だからって、良いわけじゃない。
それ以外にも良いのがあるよ。
日本とか、外国のとか。
高級だとか、貧しいものだとか。
そんな枠に囚われず、鳥のような視点で美しいものを見出した利休。
利休はそういう、自由の眼を持った人だったんですね……。
長かった。
話がちょいと脇道にそれて長くなるってのは――俺はよくやりますが。
町山智浩さんが好きなのでね、どうしてもその影響があったりするのですが。
脇道にそれてももどってきたり、もどってこなくても、脇道にそれた方が情報量がすごいことを言ってたりというのは、結構楽しいモノでありまして。
ともかく、ポイントだとか。そんなものに囚われず、本当に楽しいと思えるものをやりたい。ということですかね。
この一言のために、どんだけ時間をかけたんだっていうね。
以上、蒼ノ下雷太郎でした。