……ふと、思った。
『私の茶道発見』、草月流三代目家元が書いた本だ。これを読んでて思った。
これの、P50に。
利休のすごいとこは~と書いてある。
利休のすごいところは、「最高のもてなし」を、物質的なものにではなく、精神的なものに求めていったことです。
一部、引用。
俺とか、普通の人は。
お客さんが来たときに、もてなしといえば~お茶を出したり、お菓子を出したり~だよね。
いや、もっと細かくいえば、家に案内するまでの動作、どこに座ってもらうかどうか。などなどあるんだが~。
大体は、最高のもてなしを、と言われたら。
モノにたよると思うんだ。(その方が簡単だよね)
例えば、最高級のお茶を出したり。
最高級のお菓子を出したり。
一流ホテルのような場所で待ってもらったり……。
でも、利休はそれをしなかった。
高価なものや、派手さ豪華さでもてなすのではなく、利休自身がつくった(もしくはプロデュース)したもので、もてなす。
しかも、どれも特別派手ではなく――むしろ、地味といえるような。
でも、だからこそまるで、自然に受けることができる。もてなされる側も、まるで家に――いや、家とは違うけど。自然にふるまうことができる。
……語るとまた長くなるが。
これって、SFに生かせないかなと思った。
例えば、茶道が精神的なものを求める場なのなら、肉体や精神よりももっと奥底にある――本質を求めるような場があったらどうなのか。それこそ、そんな世界はSFでしか描けないよってのが――。
んぅ、書いてみたいな。ふと思った、蒼ノ下雷太郎なのであった。