蒼ノ下雷太郎のブログ

一応ライターであり、将来は小説家志望の蒼ノ下雷太郎のブログです。アイコンなどの画像は、キカプロコンでもらいました。

ふと、思った。茶道のことをSFに生かせられないか。

 ……ふと、思った。

 

 

 『私の茶道発見』、草月流三代目家元が書いた本だ。これを読んでて思った。

私の茶道発見―日本の美の原点とは (カッパ・ホームス)

私の茶道発見―日本の美の原点とは (カッパ・ホームス)

 

  これの、P50に。

 利休のすごいとこは~と書いてある。

 

 利休のすごいところは、「最高のもてなし」を、物質的なものにではなく、精神的なものに求めていったことです。

 

 一部、引用。

 

 俺とか、普通の人は。

 お客さんが来たときに、もてなしといえば~お茶を出したり、お菓子を出したり~だよね。

 いや、もっと細かくいえば、家に案内するまでの動作、どこに座ってもらうかどうか。などなどあるんだが~。

 大体は、最高のもてなしを、と言われたら。

 モノにたよると思うんだ。(その方が簡単だよね)

 例えば、最高級のお茶を出したり。

 最高級のお菓子を出したり。

 一流ホテルのような場所で待ってもらったり……。

 

 でも、利休はそれをしなかった。

 高価なものや、派手さ豪華さでもてなすのではなく、利休自身がつくった(もしくはプロデュース)したもので、もてなす。

 しかも、どれも特別派手ではなく――むしろ、地味といえるような。

 でも、だからこそまるで、自然に受けることができる。もてなされる側も、まるで家に――いや、家とは違うけど。自然にふるまうことができる。

 

 

 

 ……語るとまた長くなるが。

 これって、SFに生かせないかなと思った。

 例えば、茶道が精神的なものを求める場なのなら、肉体や精神よりももっと奥底にある――本質を求めるような場があったらどうなのか。それこそ、そんな世界はSFでしか描けないよってのが――。

 

 んぅ、書いてみたいな。ふと思った、蒼ノ下雷太郎なのであった。