蒼ノ下雷太郎のブログ

一応ライターであり、将来は小説家志望の蒼ノ下雷太郎のブログです。アイコンなどの画像は、キカプロコンでもらいました。

でもこれって、本来はおぞましいことだ(『アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd 25話』 感想)

 んぅ……あぁ、感想である。

      
   「アイドルマスター シンデレラガールズ」第25話次回予告ムービー - YouTube

 

 

 正直、ニュージェネのライブ……総集編かよと思ったが……。

 いや、シンデレラガールズのライブは凄まじかったんだけどね。

 ほんと、『熱量と文字数』で、CGじゃなく作画でライブ映像――音楽に合わせて絵を動かすのがどれだけ大変か。カメラワークにしてもあんだけ動くの、どんだけ大変か。語られてたから、なおのことすごいと思った。

 いや、だから全体を総括すると何で……と思うとこはあるのだが。

 

 まぁでも、終わり方はキレイに終わってたと思う。

 最後はみんな、それぞれバラバラに動いていて。

 シンデレラガールズといっても、これはユニット事に分かれていたグループでね。

 ユニットの違いってのは島の違い、もはや異世界と言えるほど違う。

 だから、初期のアイマスとは違い(いや、仕方ないんだけどさ。あっちとは違い、元々バラバラのを集めたんだから)一体感は薄かったが。

 しかし、それこそがデレマスが描こうとした『集団』の在り方だったように思う。

 集団ってのは一つの島――いや、建物といった方がいいか。

 だから、集団の中にいれば安全だし。

 集団の中にいれば快適だ。

 だが、ずっと建物の中にいたんじゃ――引きこもっていたんじゃ見えないことがある。

 それこそが他者とのコミュニケーションであり、挑戦である。

 もちろん、それはとても大変なことで。

 弱かったら死ぬし。

 何が正しいか、良かれと思ってやったことが悪い方向に突き進むってのもざらにある。

 だからこそ、中にはその挑戦に戸惑ってしまう子もいて。

 それが島村卯月だったわけだが。

 しかし、本来なら彼女のようなタイプこそがアイドルらしいアイドル。挑戦の価値がある子なんだよね。

 アメコミの批判でよく言われることだけど。

 超人が超人らしくあっさりと敵を倒し、終了。そんなの、どーでもいい話だ。感情移入する余地などない。だって読者は超人じゃないから。そんなものに、感情をあずけるところなど、どこにある。

 だが、これが少しでも欠点があり、自分のような人間らしいキャラクターだったら――感情移入してしまう。そいつが苦戦してピンチになったら、がんばれ、がんばれと応援してしまう。

 そう、こういうキャラこそ、感情移入してしまい挑戦する際の周りの熱量は高まる。

 でもこれって、本来はおぞましいことだ。

 応援。

 応援っていえば、気持ちのいい言葉に聞こえるけれど。

 言ってしまえば、他者からの願い。がんばれ、っていうのは(がんばってくれ)と言ってるようなもので。(きみががんばらないと、こっちが困る)という厚かましい願いでもある。

 それこそがアイドルの搾取であり、男女関係ない。男も女のアイドルも、男も女のファンも――求められ、求めてしまうもの。

 でも、でも――例えどんなにおぞましくても、これだけ大勢の人が求めてしまうものなら、それはやはり普遍的な価値。人の心の奥底に訴えかけるような――求めてしまうような何かがあるのではないか。

 求められる方も、求める方も。

 納得するような相互関係があるのではないか。

 そしてそれは、常に外に出なければ――発進しなければ見つけられないものではないか――

 

 ようは、『心が叫びたがってるんだ。』や『ガッチャマンクラウズインサイト』と同じようなことを言ってるんだろ?

 と言われればそれまでだが。

 しかし、アイドルという題材を使ってるからこそ、他のアニメで描けないことが描けてたのではないか。

 と思う次第でありました。

 感想だから、アニメを見てない人にはさっぱり分からない語りになっちゃったけど。

 まあ、見てない方はぜひご鑑賞ください。

 いや、言いたいことも色々あるけどね。

 でも、だからってけなせないってのが正直な感想です。

 

 以上、蒼ノ下雷太郎でした。