今週のお題は、「おすすめの手土産」らしいですね。
気になって押してしまいましたが、別にこのブログはそういうの流すとこじゃないんでね。
三日月の銃弾が手土産ってことで――「ありがっ――」パンッ、パンッ。
さて、見てない人にはさっぱり分からないだろうけど。
『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』一話から三話までの感想です。
「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」PV01 - YouTube
面白いですね、このガンダム。
放送される前から「つまらない!」と言っている方々がいたらしく、そいつらは馬鹿がと思いますが。
(あと、見る前に『腐女子向けかよ……』と蔑む人もいたらしいですが、このくらいで腐女子向けと言うならアクション映画の大半は腐女子向けですね。(いや、腐女子向けだから、文句言われるのもどうかと思うけどね……))
別に、人の感想なんて勝手でいい。
それをいちいち注意するなんて言論統制になるしね。
だからといって、放送される前から「つまらない!」と言うのは論外だが。あと、ちょっと筋肉が出たら文句言うのもね。久々に書いて愚痴みたいになって、アレだけど。
で、あらすじか。
舞台は火星。
地球の統治機構が変動してるらしく、そのため火星はただいま独立運動の真っ最中らしい。(デモも行われている)
で、主人公である三日月・オーガスは、その火星にある民間警備会社で非正規雇用として働いている。
ひどい環境で、過酷な肉体労働・理不尽な暴力は日常茶飯事らしい。(非正規なのも、孤児や貧しいから未成年でも働きたいという子供を使ってるから、という理由らしい)
で、そんな会社に場違いな少女が現れる。
彼女の名は、クーデリア・藍那・バーンスタイン。
独立運動の中心的人物らしく、彼女の護衛を頼まれるはずだったのだが――彼女を亡き者にしようと企む輩が会社を襲い――。
これが、第一話の大まかなあらすじ。
会社が襲われると、いつも偉そうにしていた大人達は真っ先に逃げ出してね。(しかも残された者を囮にして)
仕方なく、残された子供達――主人公らは戦うんだけど。
――とりあえず、彼らは勝利する。
オルガ・イツカという指揮官のおかげもあるんだろうが、何より――発電設備として代用された過去の遺物――MS(モビルスーツ)のガンダムと、そしてそれを手足のようにあやつる三日月のおかげだ。
これが、二話の序盤。
で、途中から逃げ出した大人達がもどってくるんだ。
むかつくことに、自分で逃げ出して子供達を囮にしたくせに、戻って来るなりオルガを殴りつけてね。(いや、オルガが囮にされるのを予想して、逆に奴らが囮になるようやり返したからキレてたんだけど)
でも、それは奴らが仕掛けたことだしね。本来なら文句言うのはオルガ達の方だ。
これをキッカケにオルガは会社乗っ取りを計画する。仲間達といっしょにね。
だが、そんな彼らの元に、敗れた襲撃犯の一人が――軍人のおっさんが、向かって来ようとしていた。(これが二話の大まかなあらすじ)
この、乗り込んでくるおっさんってのは、人の良さそうなおっさんでね。
仲間からの信頼も厚いし。
相手が子供だと知ると、上官の命令だとはいえ、「そんなのはできん!」と言ったりね。
これだけ見ると、とても良い感じのおっさんなんだ。
……まぁ、三話でこのおっさんが殺されるんだけどね。三日月に。
(これが、三話(かなり、はっしょてはいるが))
他の人も言ってるとおり、このアニメで対立図として出てくるのは。
子供と大人だ。
桜庭一樹の小説みたいな話だが。(もしくは、エヴァンゲリオンか)
子供は大人に利用される。
大人は子供を騙そうとしている。
……いや、実際はそんな簡単な対立図じゃないと思うけど。
でも、これって、この世で一番身近な差別構造だよね。確かに子供はまだ未成熟で、だからこそ教育が必要で、大人がしっかりと道を示さなきゃいけない――でも、だからって何も人間として扱うなというわけじゃない。何か反論すると「子供のクセに」と言われたことってないかな。これって、最大の侮蔑だと思うんだが。
子供だからって、それがどうした。
子供以下の大人だって、わんさかいるだろ。
皮肉なことに、子供と大人という対立図は、大人は元は子供だったということだ。そして、子供はいずれ大人になるということ。
だからこそ、この世で一番身近な差別構造となり、誰もが共感しやすいものになる。
三話のおっさんも、最初は子供を殺すのを嫌がる人道的な人だと思えたんだけどね。
途中から露骨に違和感が出てきた。
その違和感というのは、おっさんが告げた決闘だ。
決闘。わざわざ、命令のために赴き何をするかと思えば決闘をしようと言い出したのだ。それで自分が勝っても、クーデリアだけ渡してくれればいい。あとはどうとでも自分が責任を背負うと。
まず、自分が負けることがないという自信。
そして、一話や二話で散々仲間を殺しておいて、そのセリフ。
何より、偽善者ぶって決闘という自分のルールに相手を巻き込もうという魂胆が、ホント反吐が出るんだよね。
三日月もそれを感じ取って、だから戦いに臨んだ。
実は戦わなくても、クーデリアさえ渡してくれれば他は襲わないと最初におっさんは言っていたんだ。(これも散々殺しておいて信用できるはずないし、何よりどう言い訳しようとクーデリアは連れてく気マンマンだ)
しかも、おっさんは死ぬ寸前も違和感がぬぐえなくてね。
三日月に、負けることを考えてなかったでしょと言われても、子供の戯言のように聞いて、挙げ句、このままおめおめともどれば責任がどうたらこうたらと言い、頼むからきみの手で自分を殺してくれと言う。ほんと、ざけんな! と思うとこだが、三日月は「仕方ないな」と引き金を引こうとするんだ。それを見ておっさんは「ありがっ――」とお礼を言う前に三日月は撃つ。
このシーンで、結構キツイといってる人がいるけど。
俺はあーなって良かったと思う。実際、おっさんは人道的な人じゃなかった。ただの偽善者だ。子供だから、自分は負けることがないと舐めてかかり。しかも、守ろうとするような素振りを見せながらも実際は自分の目的はしっかり遂行する気マンマンのとことか。断罪されてもしょうがない。だからあれは、奴がお礼を言い切る前に撃つのが正しい――いや、俺だったら「生きて帰すかな」。そのあとの人生の方が彼にとって辛そうだ。
前期の『ガッチャマンクラウズインサイト』は、この作品を見てあなたなりの答えを考えてくださいと言うような、一種のドキュメンタリーのような作品だったが。
鉄血のオルフェンズは逆だ。
むしろ、荒々しいほどの想いがある。感情がある。
それが、たまらなく面白い。爽快だ。
大人達が、社会の底辺である子供達を見て、同情したり、ときには貶したりと――それは勝手だ。だが、それがどうした、と。這い上がろうとする精神。これほど、素晴らしいものはこの世にない。
社会の底辺が成り上がり、支配者を打倒しようつする話は映画『スパルタカス』を連想させ、その成り上がりの物語を固い絆で結ばれた仲間達で行うのは任侠者やマフィア、もしくは不良もののような――アウトローを描いた一連の作品のようでもある。
昨今のオタクカルチャーでは、このような作品に近いのは――あぁ、『進撃の巨人』か(最底辺というか、巨人という絶対的強者に立ち向かう弱者の話)。
こういう、血湧き肉躍るような作品は中々少なかったからね。
ガンダムでこれが見られたのは大変ありがたいことです。
今後話がどうなっていくかは――ガンダムの名前がバルバトスであることから、ミルトンの『失楽園』を連想させるが。まぁ……どうだろ。
- 作者: ミルトン,John Milton,平井正穂
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ま、乞うご期待ってことでね。
……三日月やクーデリアのことを語ってないが……てか、語るだけ語ってるが、語ってないことが多いような気がするが、ともかく、面白く見てますよってね。(ひどい、締め方!)
次回予告
次は、またニコニコで見た映画の話でもしたいと思います。
『GROW 愚郎』という映画です。
表紙からして、あんたら歳が違いすぎるだろ! という高校生がいますがw
最後はこの人達に涙してしまう、映画です。
おすすめ!
とりあえず、次もよろしくってことで。蒼ノ下雷太郎でしたぁ。