仕事の帰りに、新都心の映画館に立ち寄る。
駅の付近ではイベントが催されていて、ビールを飲んで陽気な人たちがいた。その中に紛れぬまま歩き、いや、一応一杯は買ったが、心には王の帰還が楽しみであった。
そう、王の帰還である。
ゴジラ 2019【HD】キング オブ モンスターズ 予告 King of Monsters
本作の序盤のあらすじを語ると。
前作で巨大怪獣の存在が知れ渡り、危惧した政府や一般市民たちが怪獣を忌み嫌い、怪獣に対応していた秘密組織『モナーク』が解体されそうになり、友好的な怪獣をも殺せという事態になっていた。
しかし、モスラを収容・監視していた基地に環境テロリストが現れ、研究員をほぼ皆殺しにし、唯一ある女性の研究員と娘だけを拉致して行って――。
だろうか。
このあらすじは文章を書く勉強にもなるので、毎回書くことにしているが。
ま、ここまではネタバレを気にした体で、ここからは多少ネタバレの感じで書かせてもらおう。
拉致の際に、怪獣に共鳴する音を発する機械まで奪われ、ついには南極で凍結していたキンギギドラまで解放されるのだが。
それをした首謀者は、人間は地球を汚すゴミと判断し、トチ狂っていた。
これは、昔のアニメにあったような狂信者の語りだが、しかし、怪獣映画からすると、あ、これは『ガメラ3』の別のベクトルなんだなと分かる。
ガメラは人類の守護者であるが故に、人に仇なす怪獣たちを屠るのであるが。
そこがゴジラとの違いであり、逆に米国ゴジラが目指したものであった。
このガメラ3に登場する少女は、ガメラと敵怪獣が暴れたせいで家族を失い、そのせいでガメラを憎むのであるが。
ま、ゴジラであれば、これは誰もが持つ感情で、みんな前田愛状態なんだけどさ。
ここでは、ガメラに強い憎しみを抱いたが。
ようは、進撃の巨人のように駆逐してやる感情。
だが、逆もあるのではないか。
その圧倒的な存在の前に屈服し、逆に心酔してしまう者もいるのではないか。
一種のストックホルム症候群とでもいうか。
そう、怪獣を神として崇め、抗えない存在と認めた上で、ならば我々人間は滅ぼされるべき存在なのではないかと。
そう、考えるとあの人の感情もどことなく分かる気がする。
いや、偉そうに語っているけどあくまで俺の考えた、語りなんだけどね。
でも、ガメラシリーズにやたらと影響受けてる米国ゴジラを考えると、ガメラ3の影響はやっぱあるんじゃないかな。
正直前作のゴジラは、何の興味もわかなかったのだが。
(だが、ギャレス監督の前作は好き)
今作において、何故前作が気に入らなかったのか明確になった。
恐怖。
こわくなかったのだ、前作は。
カリブ海に面したベリーズの巨大なブルホール、エアーズロック、エベレストの極寒と巨峰。
人を蹂躙する大自然を前に普通は怖じ気づき、あとずさりしてしまうが。しかし、人は同時にあまりにも巨大すぎる恐怖を前にすると、畏怖ではなく慈父のような感情を抱いてしまうのではないか。
怪獣とはいえば生きた自然であり、エアーズロックやエベレストが意志を持って人を襲うようなものだ。
今作では味方であるはずのゴジラもその一員であり、味方としてもあまりにも大きすぎる故に、そばにいることさえも恐ろしい存在として描かれている。
ラドンが誕生し、飛翔するだけでメキシコの街は壊滅し。
キンギギドラ、偽りの王は移動する際にハリケーンのようなものを周囲にまとっている。それはさながら、空が生きてるような。(作中でもいわれてる)空が意志を持って人類を滅ぼそうとしてるかのようだ。
巨大なものに恐怖する、メガロフォビアというものがあるらしい。
この惑星動画でも、自分が住んでいる地球でさえ巨大なのに、さらに巨大、また巨大、それも笑えるくらいさらにもっと巨大と、ドラゴンボールインフレを超えるインフレが出てくる。
怪獣とはそれであり、故にゴジラシリーズは一貫して人の業を描いてきた。
怪獣という巨大な存在の前に、お前らは何がしたいのか?
ただそれだけを問うてきたシリーズであるといえる。
最初のゴジラが水爆実験により生み出され、それを倒すのもまた人類により生み出された凶悪兵器であるという点。
平成初期のゴジラvsキンギギドラで、豊かになりすぎた日本を滅ぼすために過去である現代の日本を襲撃してきた未来人、環境汚染により生み出されたヘドロ、工作員たちが暗躍しその果てに生まれた怪獣などなど、人が自ら生み出してしまった怪獣、大自然、それが人類を滅ぼそうとする話がほとんどだ。
(いや、中にはのほほんとしたのもあるが)
それを前に、何をすべきか。
ただ、ひれ伏すべきなのか?
それを家畜だと嫌悪し、立ち向かう意志を持つのも少なくない。『進撃の巨人』が生まれたのも必然だろう。日本映画は昔からその手の映画を作ってきた。また、シン・ゴジラもそれを描いた傑作であった。
前作ではただのモンスターと描かれ、威厳も恐怖もなく、いってしまえばジェイソンやフレディが強化されただけの存在であったのだが、今作は紛うことなき神に近い存在であり、それに立ち向かう、失楽園のように、神に反旗を翻す作品が生まれたのは、すさまじい変化ではなかろうか。
いや、あくまで怪獣に畏怖してるだけで。
前作でもいわれた、核兵器をライトに考えすぎじゃね? はまだある。
そこに「ほへぇ……」と思うことはあったのだが。
まぁ、しかし、それはそれで。核の本質、人の領域を超えた力なんだけど、それを使わないと人類は滅ぶ、というのは怪獣で描いてるので、いいんじゃないかな。多分。テーマだけ抜き出してね、その。うん。
怪獣たちの圧倒的な存在感は序盤から堂々と示しており(味方のゴジラでさえ)人は介入できない絶対的な力、それを最初から最後まで描いていた。そこにはもちろん、ただ神にひれ伏して人類を憎む者もいたが、それを唱えるのが例え親でさえ、反抗する者もいた。
これは、反抗の物語でもあり、同時に服従もしなければいけない。戦いとあきらめが同時に存在する物語ともいえる。
こう言うと、それっぽく見えるが、ま、ここまで偉そうに語っておいてあれだけど、それよりも大事なのはやっぱり怪獣同士のプロレス、組んずほぐれつ、光線撃っての組んずほぐれつ、ではないか。
もういい、ドッカン、バッタン、ぎゃああああ、いぎゃああああ、ダアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!
で、話をしめよう。
ともかく、今作には怪獣に対する畏敬の念、そしてそれに対する深い人間ドラマ、をあざ笑うようにただただ圧巻の怪獣バトルがあります。今、これを見ないで何を見る! 乞うご期待!
以上、ゴジラキングオブモンスターズの感想でした。
蒼ノ下雷太郎でした、した!
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