蒼ノ下雷太郎のブログ

一応ライターであり、将来は小説家志望の蒼ノ下雷太郎のブログです。アイコンなどの画像は、キカプロコンでもらいました。

PLAN75感想(多少ネタバレあり) ひさびさにブログ書いたよ

 ひさびさに、ブログを書く。

 

 多少、変わってんね。最近あの場所を通らなかったけれど、久々に通ってたら前よりちょっとだけ良くなった感じに思えるけれど、どうだろう? 違うのかな? 違ってないのかな。

 ま、アマゾンプライムで映画見たんで、感想書きたいと思う。

 

 『PLAN75』。

 ようは、姥捨て山の現代的に置き換えた話です。これもSFに入るのだろうか。

 いくら過去にあったことだとしても、それを現代に置き換えたところで違和感があるだろうと思うかもしれないが、役者の演技とか演出だけじゃなく、多分映画以外の要素もあって、非常にリアリティあるように見えるんじゃないだろうか。十分、センシティブな内容かもしれんが。

 

 話は言ってしまえば、老人がPLAN75を選び、死んでいく。

 端的に言うと、こんなにもあっけなくなってしまうものである。PLAN75というのは、75歳以上になった高齢者に対し、死ぬ権利を与える制度らしく。

 最初はそれを選ばずに、職場には同年代の同僚もいて、がんばって生きていく登場人物も、次第に絶望し、PLAN75を選んでしまうという。

 この人物を演じてるのが倍賞千恵子で、男はつらいよの妹さくらでおなじみにあの人だ。あの映画を見てきた人からしたら、「……ちょ、ぁ」となるのは必至。

 現代でも75以上で働く人は増えてきてるけどさ。倍賞千恵子さんが演じてる人物は、同僚が仕事中に倒れて、それをきっかけに同年代の仲間全員辞めることになってしまう。

 辞めるときは若い人達に花束を贈られるが。

「あたし達も倒れると思ってるんでしょ」と会社に恨みを吐いたり、「あの人も何も職場で倒れなくてもねぇ」と愚痴をこぼしたりする。

 他の人達は孫の世話になったりと行き先がある人もいるが、物語の主人公的な立場に近い人物は、夫は先立ち、子供もおらず、行く場所がない。

 仕事先を探すも、老人を雇いたいとこはどこもなく、仕事がなければ明日暮らす住居も困る始末。

 もう、どうすんべかなぁ。的に食糧配給(だよね?)をやってたとこで座ってたら、磯村勇斗演じる人物に、おすそわけをもらう。

 皮肉にも、この場面で(あぁ、私は施しを受ける側なんだ)と自覚し、PLAN75を選んだっぽいのが、ほんときつい。

 

 物語は淡々と静かにゆっくりと進む。

 画面構成もよく考えられ、映像美もある。

 だが、描かれるのはものすごくグロテクスだ。

 進行スピードは象が歩くような速さだけど、音をあまり立てないくせに、肝心なところでは立てるし。象の強烈な一歩一歩のような衝撃が、至る所で受けてしまう。

 

 倍賞千恵子さんが演じる人物も、PLAN75を最初受け入れるようには見えなかったんだ。何せ、倍賞千恵子さん。目に力強いものも感じられるし、だから、男はつらいよでもあの豪快なトラさんの妹を演じられたんだと思う。

 だが、今作にはトラさんはおらず、ただただ無慈悲な現実が待ち受けるだけ。

 次の引っ越し先を探すも、担当の人の「ですよねー」「そうですかー」と感情の欠片もないような対応とか、職業安定所のPCで仕事を探そうとするもそもそもPCの扱い方に慣れておらず、隣のにーちゃんに聞くこともできず、職員の女性に聞いたらやけにぞんざいな扱いだし、「こしょうじゃないですねー」と、75歳以上の仕事が〇件であることもそのまま伝える。

 この、淡々とした描写がもう、ね。

 ほんと、吐きそうなんだけど吐けないっていうか。

 うんことか、ゲロとか(食事中だったら失礼)、そういうの一切見せてないのにグロいんだよ。ほんとに、グロすぎる。

 

 これらは最後まで徹底していて、最後に少しだけ救いのように綺麗な光景が映るんだけど、冷静に考えるとそれは弱者が出した最後の一撃でも、反撃でも何でもなく――ただただ、無慈悲なんだけど。

 でも、こういった映画というか――物語は、必要だと思うんだ。

 というか必要じゃない物語ってあるのかって話だけどさ。

 こうやって、現実にもしかしたらこういうことあるかもよ? いや、実際にあるんです! って作品で語るとさ。

 社会派、と偉そうに囃し立てられたり。

 もしくは「意識高いですねwww」と草生やされたりするかもしれないけど。

 別に作ってる人は世界を変えたいとか大層なこと思ってねーよ。俺だって見向きもされないけど、そういうの書いたことあるけど。

 でも、見て見ぬフリできないじゃん。現実にこういうことあった、残酷なことあったってさ。それを、なかったことにはできないじゃん。完璧に存在しないファンタジーなんて、作りようがないんだよ。

 

 PLAN75に出てくる登場人物も、自然とにじみ出る誰かの叫びよろしく、システム側でも何らかの行動をする者が出てくる。

 それが、磯村勇斗さん演じる人物だったり、外国人労働者の役を演じたステファニー・アリアンのマリアだったりするけど。

 磯村さんは、やっぱいいね。

 仮面ライダーゴーストから見てるけど、アラン様のときからそうだったけどさ。「静」と「動」の差というかさ。

 こう、静のときはほんとに無機質で人形みたいなんだけど。

 動のときは、ほんとに急に命が宿ったかのようにギャップが出てくるんだ。

 PLAN75では、システム側の人間――PLAN75を推奨する役所側の人間として描かれるんだけど。最初はシステマティックに役所仕事してたのが、自分のおじが出たときに変わらざるをえなくなってね。

 他にもコールセンター、PLAN75の受付をする仕事の女性も出てきて、この人も言ってしまえば死刑執行人というか、死の受付だからね。やっぱ、徐々に壊れるというか。ひずみが生まれてくる。

 どんなにシステムで動かそうとしても、それをやってるのは人間達だから、機械のようにはなれない。

 そういったのが、PLAN75を受ける倍賞千恵子さんの役、それを推奨する役所側の磯村勇斗さんの役、以前は老人介護をしてたけど今は娘を探すために金が必要ってことでPLAN75の施設の従業員役を演じるステファニー・アリアンらによって、色彩豊かに、でも実はどれも黒や白、灰色で構成されていて、ほんとにすごい映画だと思った。

 

 姥捨て山は、過去にも物語になってるのはいくらでもあるけど。

 映画では、これも印象的だった。

 いや、表紙は姥捨ての話には見えないかもしれないけど。

 でも、最後のシーンで高齢の母を捨てる緒形拳さんの「おかぁぁぁっ」ってのがね。もう、きつくて。母親の方は覚悟ガンギマリなんだけど。息子は、最後の最後になっても、そんな風にはなれない。彼が、捨てた側なのにっていう。

 

 

 別に、弱者を見捨てられないとか大層なことは言えないし。行動もしてないし。ただ、映画見て感動してるだけの人間で、これに何か多少影響受けて作品を書くかもしれないだけ、な人間です。

 別に、偉そうなことを言う気はありません。「日本を変えなきゃいかんのだよ!」とかね。

 ま、でも、とりあえず色々な言葉を置いといて。

 とりあえず。

 三度目の、とりあえず、見てみたらどうでしょうか? って映画です。

 明るい作品もいいけど。

 たまには、どん底に落ちる映画もいいんじゃない? 明るいのが全てってわけじゃないでしょうよ。

 オチがあるようでない感じになってしまったが。

 ともかく、映画の感想でした。

 以上、蒼ノ下雷太郎でしたぁ、した!