『聖母の部隊』を読んだ。
桜庭一樹先生の読書日記を見て、(伊藤計劃さんが好きな人は、『聖母の部隊』も読まないかなぁ)と言っていたので、気になって読んでみた。
最初の方は寝起きで読んだから、あまり頭が働かず少ししか覚えてないが。(何やってるんだ、俺は)最後は強烈なシーンが多かったから……どうしても記憶に残る。残ってしまう。こびりつく。
……で、これ面白さを紹介すると、どうしてもネタバレしちゃう気がするんだが。んぅ……いや、そんなネタバレが重要かっていうとそこまで重要でもないけど、でもネタバレしないように書いてみる。
いや、言おうとすればキム・ギドク監督の『嘆きのピエタ』を思い出したと言えばいいんだが。(言っちゃってるよ、俺)
共感できない心情というものはある。
テレビの向こう側にいる犯罪者だとか、テロリスト。
もしくは神話で語られるような人々。
でも、それを分かるようにすることはできる――物語だ。物語は感情移入させる上で最も簡単な方法であり、技術。もしくは、世界最古の仮想現実ともいえる。地続きにすることで、断片的にしか知り得なかった人物がどうしてあのような行動をしたのか、してしまったのか、分かるようになる。さらにそれが、冒頭で好意的に描かれれば、この人物はのちのちどうなるだろう、どうなってしまうんだ、とドキドキし、目を反らさなくなるだろう。人を突き動かすのは衝動であり、衝撃だ。面白さこそが、ガソリンであり、人を物語に没入させるエンジンである。『聖母の部隊』で最後に迎えることはとてもじゃないが、普通の人々は理解出来ない――共感できないことのはずなんだ。
設定はSFだし、平和な日本においてはゲームか漫画のできごとでしかない銃火器を使う少年達――『聖母の部隊』はばんばんそれを使う話だが、はじめから読んで終わり頃になると、もう感情移入しまくって泣きそうになってね。
バイトの昼休みに読了したけど、読んでた場所が公民館で、人も多かったんだけど嗚咽してみっともないことになりそうだった……。
桜庭一樹先生が、伊藤計劃先生の話題からこれの名前を出したのも、何となく分かる。
人が物語に突き動かされるように、この『聖母の部隊』も最後主人公達は絶望的な状況に陥っても終わりまである感情に突き動かされる。途中、それが偽物で騙されていたと分かっていても、最終的にはその偽物であったはずの者も巻き込んで、その衝動に突き動かされ、駆けていく。
もう、それがほんと泣けてね……。
キム・ギドク監督が好きというか、新撰組や武侠ものなど、――戦う人の物語が好きな人にはおすすめ、です。
以上、蒼ノ下雷太郎でした。