蒼ノ下雷太郎のブログ

一応ライターであり、将来は小説家志望の蒼ノ下雷太郎のブログです。アイコンなどの画像は、キカプロコンでもらいました。

それでも、立ち上がるからこそ人は感動する(『アイドルマスターシンデレラガールズ2nd 24話』 感想)

 さて、久々の『アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd 24話』の感想である。

 いや、正確な日本語ではないが。おいといて。

  

      
   「アイドルマスター シンデレラガールズ」第24話次回予告ムービー - YouTube

 

 二週間も感想が空いたわけだが、その理由が、先々週の卯月の葛藤が。

(え、もう終わり? もうちょい葛藤あるよね。苦しむよね? それにしても春香より少なくないか?)と思って……。

 ようは、ぬるいよと思ったわけでしてね。

 先週は(アニメじゃなくライブ映像)だったからだけど。

 

 いや、こういう言い方するとひどい奴だな、ひどい蒼ノ下雷太郎だと思われるかもしれません。

 だけどね、人の本質が出るときってのは逆境のときなんだよ。

 ホラー映画が好まれるのも血が見たいだとか臓器だとか。ぶっちゃけるとそんなのはどーでもいいんだよ。飾りだよ飾り。恐怖を体験してそいつの本質がどう出るか――そこが楽しみなのだ。ある者は恐怖に身を震わせ情けなく震えるだけだろう。だがある者は、勇敢に立ち向かうだろう。前者を非難することはできない。だって、みんなそうだろ。映画だから他人事と思っても、もし自分がそのホラーを体験したら、俺だって震えるだけに決まってる。そう悪く言えない。――だからこそ、だからこそ、後者の価値が高くなる。

 後者の人は、いわばヒーローの立場だよね。

 もしくは、アイドルが日常で頻繁に行ってるものだ。

 自分では乗り越えられないものを懸命に越えようとするからこそ――だからこそ、人はその姿に感動する。

 いや、もっと正確にいえば、自分では乗り越えないものを自分と同じような人間が懸命に乗り越えようとするからこそ――か。

 ダイの大冒険で感動するのは主人公ダイじゃなく脇役のポップだ。超人が超人的なことをしてもそれは当たり前のことであり、予定調和。だが、脇役のポップがダイも驚かすような偉業をなしとげれば、それは奇跡だ。だからこそ価値がある

 言ってしまえば、アイドルとは凡人の舞台であり、奇跡を効率よく生み出すシステムともいえる。アイドルに定期的に困難を与え乗り越えさせ、その姿でファンを生み出す、感動させる。うまくいけば儲けもの。しかし、失敗すれば目もあてられない。

 吉田豪さんの本を見ると、これまた辛いものがあるが。(いや、中には逆にアイドルやめて成功した人もいるが)

元アイドル! (新潮文庫)

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  ……それでも。

 それでも、立ち上がるからこそ人は感動する。

 世界を感動させた『ロッキー』が、最初から超人だったら、これほど感動しただろうか。

 『ロッキー』が、じゃあ立ち上がらなかったら。これほど感動しただろうか。否。

 どん底に突き落とされた凡人だからこそ、多くの人が共感し、がんばれと思い、そして戦いに挑んで行ったその姿に感動したのではないか。

 

 島村卯月は、これまで不動をつらぬくような姿勢で。

 ずっと笑顔を見せ続けてきてね。

 でも、周りはどんどん変化していって。ついには、彼女の仲間も変化していって。

 もう、これまでのやり方じゃ通用しないような――卯月を不安にさせて。

 だから、笑えなくなってしまった。それこそが唯一の武器だった彼女が。

 じゃあ、どうするのかという解決策が今回提示されたが。

 それが、だったら泣け。泣いて泣いて、ひたすら泣いてしまえば自然と笑うさ。と。下手に偽物の笑顔なんて見せるより、そっちの方が数百倍良い、という結論でね。

 最後はすんばらしい笑顔を見せてくれて、ツイッターでも多くの感動があってよかったと思う。

 

 

 ……いや、不満がないわけじゃないけどね。

 仲間がライブでペンライト振って応援してたけど……あれ、周りに気付かれるだろ。

 もう以前のように無名じゃないだろ? 中には小日向もいるしさ。

 まぁ、それはいいか。ともかく、最後の島村卯月の笑顔が見られてそれで感動した。

 

 感動したのである!