文章に味があるという人はいるもので。
比喩でも何でもなく、まるで食べ物を食べているかのように文章を読むだけで何らかの触感がある人がいる。
まぁそこには、その時期の自分の感性だからはまっていた人もいて、年が経つにつれて違ったな……というのもある。
今は味がするか……という気質になってしまった。
だが、結構年が経ってるけど好きな文章を書く人はいて、(といっても故人だが)この前も言った勅使河原宏、そてい北大路魯山人。(二人の、芸術に対する執着が好きなんだね)で、この人達は文章にもすごく出てるから。
で今は、植田いつ子さんの本にもはまってる。
『植田いつ子の装いかた上手』というのだが。
文章自体はストイックでありながら、語られる内容は情熱に満ちあふれたものでね。
無駄な要素が一切無い。
言ってしまえば、減量して極限まで無駄をけずったボクサーのような文章。
しかしこの人、職業は小説家ではなくファッションデザイナーの人なんだよね。どれだけすごい人かは、ググリ先生に教えてもらうとして。
いやもう、味のある文章でいい。
さらに今日読んで良いと思ったのは『黄色い雨』だ。
これは……ほんと、偶然手にとってみたのだが、すごいおもしろかった。
久々に(植田いつ子さんは随分前から読んで知っていて、継続して読んでるが)新規で、味のある文章を見つけられるとは。
訳がすばらしいのもあるんだろうが。
村から人がどんどん出て行って、その孤独、主人公の彼らに対する愛惜の念がすさまじくてね。――モノクロ映画を見てるような感覚。
悲しいようでいて、文章自体は味があるんだな。だからこそ、より主人公の念が強くなるのだが。
きっかけは、柳下毅一郎さんが『殊能将之 読書日記』の解説だっけか。それで、『優れた作家は濫読が多い~』ってなことを言っていて、あぁやっぱそうだな。俺も読まなきゃ駄目だよなぁ、と慌てて『殊能将之 読書日記』にも載ってるようなフランス文学を借りたり――ついでに、他に文学でよさそうなのはないかと探したら、たまたま載ってたので――ってことだ。
いやしかし、この偶然に感謝したい。この作者の――だけじゃなく、訳者の他の本も読んでみたい。今度探してみよう。とてもいいのだ。