いやぁ、最近ブログ書いてなくて、中には(蒼ノ下死んだんじゃね?)と思ってる人もいるかもしれないが……いないよね?
生きてます。
最近、クレヨンしんちゃんの映画にはまっててね。
で、見てたらもう語りたい脳が止まらないので、筆をとったならぬキーボードをとったわけ。
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内容としては、かなり異色だ。
映画の構造というか、普通の映画としても、クレヨンしんちゃんの映画としても異色。
しかし、個人的にはこれはクレヨンしんちゃんをメタ的にとらえた隠れた傑作なのではないかと……い、いや、その分、犠牲にしたものもあるにはあるけどさ。
というか多分、話としては押井守の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』に近いんだけどさ。最近だと、まどかマギカの劇場版か。
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いつも映画だと、突拍子もないSFだったりファンタジーに巻き込まれて、大冒険を繰り広げる野原一家だけど。
今回はかなり小規模。
何でも、時間の歪みがどうたらこうたらで、異次元のような場所(実際には違うけど)で三分間戦ってくれというんだ。
戦う相手は、怪獣。
街を破壊し、人々を襲っている――止めるのは野原一家、戦う際には未来人(野原一家を巻き込んだ張本人)の力を借りて、それぞれがイメージするスーパーマンだったり、魔法少女っぽかったりするのに変身する。
――で、映画はひたすらこの流れが繰り返されるんだね。
変身しては戦って。
変身しては戦って。
……まぁ、これがエンタメ要素を薄くして、人気がない理由なのかもしれないけど。
でも、この映画のすごいとこは、次第に巻き込まれただけのはずだった野原一家が、段々と(自ら)戦うことに積極的になるんだよね。
いや、みさいえとか最初からテンション高くなって、戦ってたけどさ。
その、テンション高くなるというのは、合間に現実のシーンをはさんで描写される。
朝起きて、飯をつくり、しんのすけを幼稚園のバスに――乗せられなくて、自転車で追いかけたりする、とことか。
会社で上司に叱られるとこ、とか。
そう、だから変身して戦うってのは、ある種の解放感――それこそコスプレするのと同じ感覚になってきてるんだよね。その変身して戦う間だけは、完全無敵のヒーローとしていられるから。
最初はみさえだけだったのが、ひろしもやるようになり、ひまわり、しんのすけ、シロもやり始める。……で、段々と家の中が変化して、ゴミが散らかり、いつもの幼稚園のバスが止まると、玄関にゴミ袋が散乱して『!?』という状態になる。
見ただけで分かるゴミ屋敷。
というか、育児放棄だね。その状態だと。五歳や〇歳の子供がいるからさ。
事実、みさえは変身して戦うチャンスが出たとき、ひまわりのミルクをしんのすけに押し付けてまで向かってしまう(あの、みさえ、がだ)。
まるで、インターネットのネットゲームにはまりすぎたかのようだ。
このままじゃ、どうなるんだ。
しんのすけの恐怖に反応するかのように、怪獣の強さもあがっていく。
ついにはみさえやひろしが、怪我までする始末。
というか、瀕死でどうにか勝った状態で、次は絶対に勝てないんじゃないかとようやく危機感が芽生えてしまう。
そう、現実から逃れるための非現実――幻想が、良い夢だったはずが、悪夢になってしまったのだ。
二人はもう戦うのがこわくなり、怪獣が出ても戦うのを拒むのだが――しんのすけは、戦いに行くんだね。
このときに行った理由が。
『ひま(ひまわり)に女子大生になってもらって素敵なおにいさまって友達に紹介してもらう』
なのが、非常にしんのすけらしいのだが。
でもこれって、ようはひまわりの――妹の未来を守るためだよね?
この映画の冒頭は、アクション仮面の夢を見るしんのすけの話なのだが――そのとき、アクション仮面に『きみにとっての正義とは何か?』と問われるんだ。だから、これは非常にしんのすけを象徴する話だ。
彼はこれまで、どの映画でも家族や友達、もしくは仲間となった者達のために戦ってきた。それが、これにあらわれてると言える。
俺が何でこの映画を見たいと思ったかは、このサイトの記事がキーになってるんだけど。
クレヨンしんちゃんの映画といえば、まぁ戦国だったりオトナ帝国が名作として人気――は、みんな知ってると思う。
でも、実際はそれ以外にもクレヨンしんちゃんのキャラクター性を保ちながらも、本来の映画のおもしろさ、西部劇だったりSFだったりを盛り込んだ、非常に濃厚なエンターテイメントをやっているんだね。
だけど、中には評判だけじゃなくアンチが多い人がいて。
それが、この映画の監督なんだけど――いや、俺は大好きなんだけどね。
上の考察で書かれてるのは、『オトナ帝国』は確かに名作で、クレしんとしても、一個の映画としても優れている。
しかし、少々理想の家族像として野原一家を描いてないか?
そもそも、野原一家とは一般家庭の象徴だったのではないか。
ならば、少々雑というか、家族として歪さもあるのが、むしろ野原一家であると言えるのでは?
そもそも、これまでのクレしん映画で野原一家が正義の側にいたのは、野原一家の家族を守るために悪の側を倒す必要があったからで。
ぶっちゃけ、矛先がちょっとずれたら、『世界』よりも『家族』を選ぶのではないか。
それを問うたのが『ケツだけ爆弾』という名作の映画なんだけど。(これはまた、いつか語りたいと思う)
そして、『映画クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶブリブリ3分ポッキリ大進撃』は。
そのことを濃厚に描いた作品だ。
いつも巻き込まれる側だった野原一家が(当たり前だ。ごく普通の家庭は、ゴールデンウィークに旅行することはあれ、戦国時代やファンタジーの魔物と戦ったりなどはしない)最初はいつも通りに巻き込まれただけだったのに、気がついたら自ら積極的に戦いにのめり込んでいった。
確かに、現実を忘れて非現実にのめり込むのは楽しい。というか、小説家になりたいなんて言ってる俺とか、とくにそう。よく分かる。
でも、だからといって現実を忘れてはいけない。完全に忘れてはいけないんだ。非現実は現実があってこそ成り立つのだから。
これは、ヒーローを描いた作品にもいえる。
ぶっちゃけて言ってしまえば、ヒーローが持つすごい力だとかすごい武器だとか、そういうこと自体には何の価値もない。本当に重要なのは、それで何をするか。
何を、しようとするかだ。
だから、しんのすけがこの映画で言った『妹の未来を守るため――家族との未来を守るため』それだけじゃなく、彼が守りたいと思った者達を守るために戦おうとするのは、非常に感動的なのである。
こんだけ長く語って、さらに他のアニメの話をすると、また困ったことになるのだが。
ちょっと前に、『超人幻想』というアニメがあった。
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もう、強引に短くまとめると、特撮のヒーローなどが現実となった世界(正確には昭和の時代で)を描いたアニメだ。
ここでは、頻繁に『超人とは何か』を問いかける。
超人なのに何もできなかったり、超人なのに悪事に手を染めたり。
現実を何一つ変えられず、むしろ社会の闇に染まっていく。まるで、ただの人間のように。
それでは、超人とは一体なんなのか?
理想が何度も裏切られて、朽ち果ててく中、主人公が出した答えが、本当にすばらしい作品なのだが――。
これでも、『超人とは何か』で、ただ単に力が強いとか、すごい能力を持ってる、という答えにしてないんだね。
問題はそれで何をするか。何をしようとするか。
何も超人幻想だけじゃない。
アメコミ――キャプテン・アメリカだってそうだ。
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元々、キャップは世界大戦当時ひ弱な青年だったのが、改造による超人になったんだけど。
(町山さんの解説から語るが)そもそも、彼は虐げられていたとこの出身(アイルランドらしい)なんだね。(正確には二世だっけか)
だから、いくら虐げられていても、新しい場所で何者にでもなれるアメリカ――その国の理念のために彼は戦うことを決意した。(当時はアイルランドはアメリカと敵対ってなってたらしい)
皮肉にも、彼のその想いはときが経っていくごとに裏切られ、アメリカ政府と戦うハメになるんだけどさ。
でも、彼が戦う理由ってのは、何者にでもなれるはずだったアメリカ合衆国――その理念のために、戦ってるんだよね。
そう、俺はしんちゃんが、とてつもないヒーローに見えてすごい良かったんだ。
ちゃんと、現実の五歳児のしんちゃんも、一般家庭の野原一家も描きながら。
でも、家族――いや、誰かのために戦うその姿が、とてもまぶしく見えたんだね。
もう、俺この映画観て号泣して、いや大抵ヒーローを語る映画観ると号泣するんだけど、俺が号泣偏差値を勝手に取ったので語ると、号泣インパクトだったね。うん。ものすごい、号泣だった。(ちなみに、『ケツだけ爆弾』では号泣ビッグバン)
ヒーローとは何なのか。
それは、以前書いた『アイアム・ア・ヒーロー』の感想でも書いてるけどさ。
そのときに書いたのは、本当にヒーローに必要なのは力でもなんでもなく、優しさと書いたが。
言葉は違うが、今回も言ってることは同じだ。
何をするか、何をしようとするか。
その基点となる――優しさこそが、ヒーローの本質なのである。
安易な引き金に何の価値もない、大事なのは優しさによる重さである。
それ以外は、あくまで飾りなのだ。
ちなみに、俺なんかがついでにというのも、何ですが。
俺もヒーローを題材にした小説を書いてます。
ヒーローとは何か。
周りから、『悪』とされてるものを倒せば、それでヒーローになるのか?
違う。
ということを、書いた作品です。
(ちょっと、四万文字におさえるため、急ピッチなとこあるのはご愛敬)
と、流石にそろそろ長すぎる。
以上、蒼ノ下雷太郎でした。した!