インド映画の、『裁き』を見た。
はじめはブログを書くつもりはなかったが、ツイッターで感想を述べる内に興が乗ってしまい、ついでにと、筆を取った次第である。
インドを舞台にしたドキュメンタリーで、監督は撮影当時二十代だったとか。……才能ある奴、憎い。あ、いや、私情はさんだ。何でもない、何でもないよ。
内容は、タイトルとジャケットでも分かるとおり、裁判を扱っている。これは、ある一つの裁判を追う。
『自殺幇助の歌をうたったから、有罪!』
と、見てる側がぽかーんとするようなことを言われ、しかし、映画を見てる最中にもツッコミを入れる人はいない。これがアメリカ映画だったら、『嘘だよ、ばーか!』と言ってうんこ投げつけるか、それイギリスか。日本だと、『嘘だ、死ね!』と江頭2:50が判事をどつくんだろうか。
だが、この映画はそんなツッコミもなく。
『あなたの歌で、下水道清掃員は自殺しました。そう歌いましたよね? で、清掃員は自殺してるのは間違いなくてですね』
いや、こんな口調ではないけどさ。
しかし、言ってることは同じ。見てるこちらとしては、「?」と「???」となるような展開に、サンドウィッチマンのごとく何言ってるか分からない状態になる。しかし話は続く。
見るからにおかしな裁判なのに、必死にそれはおかしいよと戦う弁護士が辛く見えてくる。
これをただ単に眺めていると、他人事としてファンタジーの一種として扱われる。青山とかな。青山とか。お金持ちの――(以下略 しかし、この映画はそれで終わらせようとはしない。
この裁判に関わる人物、弁護士や検事、判事、裁判を受けてる被告人も含めて、裁判以外のこと――どんな飯を食っているか、家族とどう過ごしてるか、日常の風景もはさんで映像を流すのだ。
それにより、人形に魂が宿ったかのように生々しくなり、肉感が伝わり、あぁ、これ現実なんだなと、思い知らされる。
こういう内容は、ドキュメンタリーが多いのも、監督が現実感をどこの国にも誰にも伝わるようにするのも意味がある。単なる売れ行きだけじゃない。
現実。
ブラウン管の向こう、という表現は死語か。じゃあ、液晶の向こう側でいい。液晶の向こう側、偏光フィルターやガラス基板などがサンドウィッチのように重なったそれの向こう側の人に、フィクションではなく、あなたのすぐそばにもある現実として知ってほしいから、なのだ。
でなきゃ、そこら辺のティッシュのように。
「おもしろかった」と鼻をかんで捨てられる。
そんなんで、今あるこの現実を変えることなんてできない。
そのような意思もありありと伝わってきて、最後ら辺では泣いてしまいそうだった。
(ちなみに、ある裁判を追ってると言ったが、あくまでインド社会を描くために、あの裁判を追ったのだろう。だから、裁判が終わっても映画は続く)
ネタバレかな?
いや、正確には映画が終わってもこの裁判――『お前のせいであいつは自殺した。ほら、有罪だ!』なんて、とんでも論法は終わらない。
『アクトオブキリング』もそうだったが、こういう映画でエンドロールに音楽がないのって、現実への地続きを大切にしてるからだよね、多分。
悲しい音楽やどうでもいいポップで終わりにするのではなく、どこの国にも共通して存在する『無音』という音により、映画が終わっても無音が続いてるのに気づき、あぁ、まだ本当の意味で映画が終わってないんだなと気づかされる。
てな、ことを感じましたと。
以上、久々の感想でした。
いやぁ、たまにレンタルのぞくと面白い映画があって困る。動画配信だけじゃ足りないね。
……てか、これ日本公開は去年の七月か? それ以前にも映画祭があったらしいか。気づくの遅すぎだろ。アンテナさび付いてるので、新調するようにがんばろう。
蒼ノ下雷太郎でした、した!
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