気がつくと、ブログを何日も空けることが多くなった。
一日に二回更新と言っていたのにだ。
まあ、それも、散々挑戦してみて挫折しての繰り返しだから、もう何をしても駄目なんじゃないかと絶望している状態だからかもしれない。これで少しでも成果が出れば元気は出るのだが、出ないし、と嘆いていたいのだが、嘆いていても問題は解決するわけないし、信仰じゃないんだから、宗教じゃないんだから、自分が行動しないと何も変わらないのである。
というわけで、更新。
といっても、とくに語ることは……いや、あるか。
『ばらかもん』のアニメを見た。
ニコニコでやってる奴。
どの話も名作、神回でね。
おいおい困るよ、こんなの。神回しかないじゃないか、全くそんなことやられたら、公開されてる分だけ一気視聴しちゃうよ! と贅沢で馬鹿なことを言って、全部見る。いやぁ、おもしろいね。
都会で問題を起こした書道家が、田舎の離島に行って、慣れない環境に戸惑いながらも島の住人と交流し成長していく――
あらすじは、こんなもんか。いや、一応上にもあらすじはあるけど。久々だから自分でもやってみた。あらすじ、って小説の勉強にもなるしね。大概の新人賞はあらすじ書けって言うのよ。
『ばらかもん』がやってることは、ようは自己の確立だ。
教科書通り、と批評された主人公は、ようは最初は型にはまってるだけのテンプレ。個性がないようなことを言われたんだね。本人も心のどこかで自覚していたから、衝動的に言った奴を殴ってしまった。だから、離島に島流しのように移住したわけだが。
ここで、主人公は田舎の暮らしに衝撃を受けつつも、未体験だからこそ新鮮な体験を行っていく。(とくに見返りも求めず引っ越しの手伝いをしてくれたり、森や海の遊びだったり)
これが、自己の確立につながる。
昔から書道一筋で友達もほとんどおらず、個性がなかってのもそれが原因になってたんだね。でも、主人公は島で段々と経験を積み重ね、個性のようなもの――いや、個性というより自我を築き上げていくんだ。
そう、これで行われる自己の確立とは、他者とのコミュニケーションによって行われる。
(とくに、最後に主人公が書いた字がそれをありありとあらわれてる)
そういう意味では、このアニメって『ガッチャマンクラウズインサイト』とやってることは同じなんだよね。ゲルルル~って言う奴はいそうでいないけど、でも、あっちも他者とのコミュニケーションで自己を確立させていった。自分と同じ思想の持ち主というのは、いわば自分の分身みたいなもの。自分自身と話してるのと大して変わらない。それを悪いというわけではないのだが、本当に自分を高めたいのであれば、やはり外に出なければなにも生まれない。
そう、それこそ離島にでも暮らしてみろと。見ていて勇気も出るし、何より、島の人達と主人公の交流が見ていてとても温かくなるアニメだった。
(最後に「せーの」で、「ありがとうございました」と言うのとか泣きそうになった)
若者は挑戦しなければ、とも作中では言われてるしね。
俺もいつまでも若者でいるわけじゃないが……まだまだ、負けてられないなと。
マッドマックス!(意味はない)
がんばろうと、思った深夜の蒼ノ下雷太郎でした。それでは、それでは。