敬礼!(『死霊のえじき』 感想)
ホラーものをよく見てる者として情けない話だが……こんなんじゃ、高橋ヨシキさんにブッ殺されてしまう。それこそ、食人族のようなノリで……(いや、接点なんて一つもないんだが)
『死霊のえじき』を見た。
敬礼しちゃってるよ、こいつ!
というジャケットだが、これ一応ゾンビである。
多分、ゾンビ映画でも稀に見る頭が良い奴なんじゃないだろうか。(コメンタリーでは、鈍い犬程度とは言われていたが)
こいつ、敬礼するだけじゃなく人のモノマネもするしね(猿のように)、なおかつ銃も撃てるんだよこいつ。
いや、他のゾンビ映画にも母親のように子供ゾンビを愛した奴が邦画にいたし、中にはゾンビというかヤクザになるのもあるし、こいつが一番頭いいわけじゃないだろうが。(バイオハザードなんてもうどれがゾンビ? という異端も数多いしね)
あらすじとしては。
人類は限界まで追いつめられ、ほとんど数人だけが残されて、彼らは地下施設のある基地にこもり、暮らしていた。
そこでは、何も成果を残せない科学者と、それに苛つく軍人達がいて、まあいつ導火線が尽きるか分からない有様。
主人公である女性はどうにか両者の仲を取り持とうとする(というか、争いを止めさせようとする)
だが、どちらも相容れないものがあってね。科学者はゾンビの実験で、死んだばかりの軍人達の仲間を利用したりもするし、軍人は軍人で武力で圧政しようとするし。
まあ、ジョージ・A・ロメロ監督らしい『ゾンビより人間が怖い』映画である。
ゾンビ映画って、実際はゾンビよりも人間の方が生々しく描かれることが多いんだよね。
最初の一作目、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のときからそうだ。
極限まで追いつめられた人々。中には恐怖にかられ、仲間を平気で見捨てる奴がいる。だが逆に、仲間のために命をかけて戦う者もいる。
究極に追いつめられたからこそ、社会のおいてのレッテル、弱者だとか性別だとか所得格差だとか人種だとかそんなものが無意味になって、映画で描かれるのはその人の本質そのものなんだね。
『死霊のえじき』もそれは同じで。
最初、圧制をしいていた軍人達のリーダーが、最期はそれ相応の報いを受けたのが印象的だった(ちなみに、このブルーレイのジャケットはそれに関係するシーンだったりする)。
死体の尊厳も何もない、マッドサイエンティストも容赦なく死んでね。
(この映画というか、ロメロ監督の作品はどれも喰われる描写が凄まじくてね。どう見ても本物にしか見えないものが多く、今回も最期のシーンは凄まじかった)
ともかく、ドラマシーンが多く退屈と思えるとこも数多いんだが。
しかし、これはゾンビシリーズの中でも重要と思える作品だからね。
そう、ゾンビ映画は基本ロメロ監督によって築かれたジャンル――故に、ロメロ監督の作品群において重要な位置であるなら、それはそのジャンル全体においても重要であるといえる。
コメンタリーでも語られているが、当時80年代の世相もうまく反映されており、クリエイター志望にも大変勉強になる映画だと思います。
俺も極限まで追いつめられたら何するか分からない。いやそれこそ、無様な醜態をさらすかもしれないけど。
そうなったときは、この映画を思い出して死にたいね。以上、蒼ノ下雷太郎でした!