前回、前々回。
002
僕がきみと会ったのはいつだったか。
「正確には初めて会ったのは、ね」
彼女は僕の言いたいことを正確に伝えてくれる。未来の拡張領域はこういうノリなのかもしれないと勝手に考える。
「あぁ……」と僕は思いついた。
「一人称はどうする?」
「何でもいいわよ。わたしでも、ワタシでも、私でも」
あたしでも、アタシでも。
うちでも、下の名前を一人称にしても、オタク向けに僕にしてみても。
「いえ、やはり最後のはイヤね」
「きみってどういう一人称だったっけ」
「そこから覚えてないの?」
「前回も一人称使ってないしね」
「はぁっ……」と、盛大にため息をつかれた。
所詮は、彼女は僕の頭の中で描いた像でしかない。だから、いくら彼女に聞いたってあの彼女のことが分かる訳じゃない。最初から分かってるから聞いてるか、あとは適当にはぐらかすつもりで聞いているんだ。
「そうだ、いっそのこと一人称なしってのはどう?」
「……はい?」
僕は首をかしげる。
机上の空論ならぬ、紙の上に書かれた会話であるけれど、その中で首をかしげるって表現は違和感があるけれど、ともかく僕は首をかしげるが意味する内容に等しい感情を彼女に抱いた。
何で?
どうして?
何故?
そうなった?
「だって面白そうじゃない。いくら過去の記録だといってもさ、覚えてるのはあなた。再生してるのもあなたでしょ。言うなればあなたの分身に他ならない。だったら、いっそのこと一人称を消しちゃえば。その方が――少しは本物の『彼女』とやらになれるかもよ」
「今、うまく一人称を使わなかったね」
いや、彼女にとって『彼女』が一人称に近いのだろうか。
話がそれる。
ともかく、話を聞いてみておもしろいかもしれない。
「少し大変ではあるけれどね」
「小説家なんでしょ? ぐだぐだ言わないでよ」
ごもっともで。
じゃあ、きみの一人称はなしで。
「最初に会ったのは図書館だっけ」
「図書館だったかしら。どっちが声かけたの」
「きみ」
「そうだったかしら」
「確か、僕が吉田秀和の本を読んでいたんだ」
あれは冬の日だった。
学校の部活帰りに友達がカラオケ行くってのを僕は断った。適当に塾があると嘘をついて、図書館に行ったんだ。
「ひどい子ね」
「ひどい子さ」
でも、そうしないと生きてられなかった。嘔吐してしまいそうだった。
それ以外、呼吸の仕方が分からなかった。辛かったんだ。
「ま、あなたは集団行動苦手そうだものね」
そして、僕は吉田秀和の本を読んだんだ。あれは、『永遠の故郷』シリーズだったか。
「違うわよ」
「――え?」
「そのシリーズは2000年よりあと。結構、最近よ。てか、どうしてそれが出るのかな」
「あ、そうか」
2000年を振り返ろうってのに、現代から2000年までどれくらいの距離があるか。年月が経ってるのか、実感が湧いてないから、うまく距離を測れないようだった。目隠しでマラソンをしてるような気分だ。走らなきゃいけないのにぶつかってしまう。
「で、あなたは何を読んでたのよ」
「そこ重要?」
「小説家の読む本が重要でないというなら、重要でないかもね」
嫌みったらしい言い方だった。彼女が彼女である証ともいえる。段々と、彼女の像がはっきりとしてきた。
「そうだ……あのときも、きみに同じようなこと言われた気がするよ」
「そう?」
「あのときは……大塚英志の物語を書くには云々を読んでた気がするよ」
「題名は思い出せないのね」
「思い出せないんだ」
何か、それで重要なことを学んだような気もするし。学べてない気もする。
「で、きみは――あなたには何かを書きたいって風には見えないけれど? って言ったんだったな」
「……ひどいこと言うのね」
一人称は使わず、己に引いてしまう彼女。
でも、あのときは眼から鱗が落ちたかのように衝撃的だったんだ。
確かにそうだった。
僕は物語の構成とか、小説講座の本を一通り読んだけれど、正直それがすぐに生かせるわけじゃなかった。むしろ、それを生かすにはどうすればいいかを考えなきゃいけなかった……。
「………」
あのときは、書きたいものがなかったんだ。
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